(1) 盟主のDNA再び
source : 2011.12.09 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
10月4日付のロシア・イズベスチヤ紙の1面トップに、プーチン露首相の長大な論文が掲載された。旧ソ連圏を再統合する「ユーラシア連合」構想だ。
今月4日の下院選での選挙違反疑惑や、与党の議席大幅減という事態がどう作用するかは不透明とはいえ、来年3月の大統領選でプーチン氏に比肩しうる対立候補は見当たらず、論文は“選挙公約”に等しい。
ロシアとベラルーシ、カザフスタンの3カ国は現在の関税同盟を来年1月に「単一経済圏」に格上げし、カネ、モノ、ヒトの移動を自由化する。論文は、これ以外の旧ソ連各国も含めた「自由貿易圏」を創設し、「ユーラシア連合」へと連なる道を示した。
2週間後の10月18日。先の3カ国に加えてウクライナ▽アルメニア▽キルギス▽モルドバ▽タジキスタンが突然、自由貿易圏への参加を表明した。購買力も市場もあるロシアとの関係を害したら、国が立ち行かない。そんな周辺各国の思惑を突き、経済統合は一気に現実味を増した。
経済だけではない。ロシアは近年、ウクライナなど周辺国に有する軍事拠点の駐留期限を次々と長期延長したほか、今後3年間で4400億ルーブル(約1兆1千億円)を投じて軍備増強に乗り出す見通しだ。
経済統合と同時並行で進む軍備増強。ソ連時代から東欧諸国に駐在してきたある外交筋は、ロシアの狙いを次のように分析した。
「ソ連が崩壊するまで、ロシアはずっと帝国だった。そのDNAからすれば崩壊などあってはならないことだ。旧ソ連圏を統合して盟主に収まることは、ロシアの夢そのものだ」
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11月下旬、ウクライナ西部の古都リビウ。街の目抜き通りでは欧州接近を掲げる政党がテントを張り、通行人にビラを配る。「ヤヌコビッチ大統領は支持できない。ロシアに支配されてしまう」。支持者の男性(78)が言った。
ポーランド国境まで約60キロ。街は長い間、同国やオーストリアの領地となり、ソ連の版図に入ったのは1939年から崩壊までの半世紀にすぎない。「欧州の一員」との強い自負がある。
他方、帝政時代からロシアの支配下にあったドネツクなど東部では、「私はウクライナ人というよりロシア人だ」(59歳の男性)と話す人もいる。
加えて、西部との産業格差がもたらすプライドもある。ドネツク州は製鉄や自動車、炭鉱など重工業のメッカで、全土の工業生産の20%をたたき出す。「国家財政を支え、西部を含む国民が食えるのは俺たちのおかげだ」。製鉄所従業員の男性(48)が語った。
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2004年の民主化政変「オレンジ革命」で誕生したユシチェンコ前政権はロシアと距離を置き、欧州への接近を図った。これに対し、プーチン前露政権は天然ガス料金の滞納を理由に供給を一時ストップするなどして圧力をかけた。政争もあって経済は混乱、改革機運は急速にしぼんだ。
ウクライナの欧州接近を阻み続けたプーチン氏。その心理を読み解くカギは、首都キエフにあるようだ。
街の成立が5~6世紀と旧ソ連圏で最も古いキエフは、ロシア人など東スラブ人にとっては“心のふるさと”だ。ロシアで最大の信徒を擁する東方正教を最初に受容したのも、10世紀のキエフ大公だった。
リビウのサドーウイ市長(43)は「キエフがなければ、ロシアがどこから始まったのか分からない。誰だって自らの来し方を確認できずに生きていくのは困難だ」とロシアの人々の心中を推し量った。
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欧州接近派の失速を受け、10年の大統領選では欧露の間で「全方位外交」を掲げる東部出身のヤヌコビッチ政権が生まれた。
しかし、「通貨切り下げは時間の問題だ」(元中銀総裁)といった観測が週刊誌をにぎわし、危機的な財政状況に変化はない。旧ソ連圏の経済統合「自由貿易圏」加盟に踏み切った背景には、ロシアの天然ガスを安価に手に入れる思惑だけでなく、ソ連時代の名残である分業体制をてこに産業を再興する狙いもある。
リビウの大学教授の男性によると、ソ連時代にあった自動車産業などは1990年代にみな衰退した。「ソ連が解体して国内分業体制が崩壊し、受注がなくなったからだ」という。これに対し東部には、ロシア企業との合同生産で生き残りを模索する航空機メーカーや、ロシア軍相手に最新型ロケットを生産している企業がある。
独立から20年。ロシアの存在感の大きさを再認識するムードが広がっている。
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ヤヌコビッチ政権は旧ソ連圏の自由貿易圏への参加を表明する一方で、欧州連合(EU)との政治・貿易協力協定の締結にも努力を傾けてきた。しかし、見込まれていた年内の仮調印は困難になりつつある。
「オレンジ革命」をユシチェンコ前大統領と率いた著名な女性政治家、ティモシェンコ前首相が職権乱用罪で10月に禁錮7年の判決を受けた件で、EU側が「政治的動機に基づく判決だ」として態度を硬化させたからだ。
一方、ここにきて自由貿易圏への参画を表明し、ロシアに“恭順の意”を示したヤヌコビッチ政権だが、ロシアから安価な天然ガスを獲得する思惑もまだ実現していない。欧露の間でウクライナの漂流は続く。
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1991年12月8日。ロシア共和国などが独立国家共同体(CIS)創設協定に署名、ソ連は同月末に世界地図から姿を消した。第6部では再び頭をもたげる“旧ソ連圏統合”を展望し内実を探る。
(2) 「欧州最後の独裁者」降伏
source : 2011.12.09 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
“皇帝”が独裁者の屈服を宣言した瞬間だった。11月25日、モスクワ近郊の公用別荘。ロシアのプーチン首相(59)はベラルーシに対し、天然ガスを来年から「統合割引価格」で供与すると表明した。
ロシア産ガス1千立方メートル当たりの欧州への平均価格は400ドルだが、ベラルーシへの価格は約165ドル。その見返りに、同国経由で欧州に至るガスパイプラインをロシアが買収することで合意した。
「欧州最後の独裁者」と呼ばれるルカシェンコ大統領(57)にとり、ガスの国内通過料が入るパイプラインは国庫収入を支える貴重な対露交渉カードの一枚だった。
その約1週間前。独裁者はモスクワでのロシア、カザフスタン両大統領との会談で、「最も重要なのは対立が解消されたことだ」と述べ、対露友好ムードの演出に努めていた。
3カ国の関税同盟は来年、「単一経済圏」に格上げされる。ロシアとの国家統合強化に同意したのだから手心を加えてほしい-。そんな思いがにじむ。
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1994年から大統領に居座るルカシェンコ氏は、昨年12月の大統領選で4選を果たした。首都ミンスクなどで反政府デモのうねりが起きたのは経済危機が深刻化した夏のことだった。
選挙前には支持率アップのため、実勢350ドル前後だった平均月収を500ドルに引き上げると表明。額面上の収入は増えたが通貨を刷り続けたため、価値は1年で3分の1に暴落した。
デモ行進は、政権批判も口にせず押し黙ったままだったり、手をたたいたりするだけだった。治安機関はそれでも躊躇(ちゅうちょ)せず一部参加者の拘束に踏み切った。
ルカシェンコ氏は経済改革を先送りし、財政収入の7割は国家関連企業が占める。しかし、いびつな「独裁モデル」はプーチン氏の露大統領選再出馬を前に、行き詰まったとの見方が強い。ロシアが突きつけてくる国家統合をのらりくらりとかわしてきた独裁者が、パイプラインの売却を余儀なくされる事態が逼迫(ひっぱく)した状況を物語っている。
プーチン氏が10月に打ち出した旧ソ連圏の統合構想の参加表明国には、タジキスタンやカザフスタンなどソ連崩壊前後から大統領が代わらない国もある。経済や軍事面で、ロシアの庇護(ひご)を得て独裁を継続しようという狙いがちらつく。ベラルーシの反体制政治家ミリンケビッチ氏は、ロシア主体の統合構想を「独裁国家の同盟だ」と切り捨てた。
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ミンスクから南に約150キロ離れたソリゴルスク。ソ連時代からカリ塩の産地として知られ、世界4位のシェアを誇る国営肥料企業「ベラルスカリ」の本拠があり、町民の半数に当たる2000人が同社で働く。独裁体制を支える「カード」の一つだが、経済危機の表面化を受けてロシアが経営参画を求めてきた。
そうした金の卵に、中国も食指を動かしている。
9月には呉邦国・全国人民代表大会常務委員長(国会議長)が訪れ民営化協力協定を締結、10億ドルの低利融資などを決めた。プーチン氏の報道官が「ロシアとの間にもそんな協定はない」と両国関係の進展に驚いた、とも報じられた。
中国は「ミンスク自動車工場」にも関心を寄せているといわれる。関連会社がロシアの移動式大陸間弾道ミサイル(ICBM)の車体部分を製造、その技術を求めているとの見方が強い。
旧ソ連圏の連帯を盛んに強調し始めたプーチン氏。胸中に中国への警戒があるのは間違いなさそうだ。
(3)武力でねじ伏せた親欧米路線
source : 2011.12.10 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
旧ソ連・グルジア(人口約422万人)の首都、トビリシから車で30分ほど走ると、街道沿いに同じ形をした小さな平屋の住宅約2千戸が忽然(こつぜん)と現れた。
2008年8月にこの小国がロシアと交戦した「グルジア紛争」で、ロシアが事実上併合したグルジア・南オセチア自治州から追われたグルジア人難民ら約6700人が暮らしている。
難民村のコルチシュビリ村長(44)は「(南オセチアの州都)ツヒンバリ近郊にいた人々にはもう自宅が(破壊されて)存在しない。家が残っている地域の人々もロシア語の身分証明書類を携えてロシア側の検問を通らねばならず、安全上の理由からも定住はできないのです」と語った。
グルジアには、少数民族であるオセット人とアブハズ人の暮らす南オセチア自治州とアブハジア自治共和国がある。1990年代前半の民族紛争で両地域からは20万人以上のグルジア人難民が発生し、その大半が政府の統制が及ばない独立派地域となった。
ロシアが旧ソ連構成国に初めて侵攻した2008年の紛争では、アブハジア、南オセチアのうちグルジアが保持していた地域までもが奪取され、先の「村」などで今も約2万7千人が難民生活を送っているのだ。
■紛争誘発の「罠」
「日本は北方四島から北海道を砲撃されて、どれくらい我慢ができますか」
グルジアのサーカシビリ政権で経済相などを務めたベンドゥキッゼ氏(55)はグルジア紛争を北方領土問題に重ね、「それだけロシアの挑発が強まっていたのです」と訴える。
紛争は一般に08年8月8日未明、グルジアが南オセチアの再統一を狙って同自治州に攻撃をかけ、露側が「自国民保護」を掲げて報復に出たものだと解釈されている。グルジア側はしかし、紛争がこの日に始まったとは考えていない。識者らは次のように説明する。
ロシアは1990年代の内戦でアブハジアと南オセチアの独立派を支援し、停戦後は平和維持部隊の名目で軍を駐屯させた。両地域の住民に自国のパスポート(市民権)や年金を与え、南オセチアには露将校らによる傀儡(かいらい)政権を樹立。南オセチアからグルジア側への攻撃が次第に激しさを増していく中、2008年8月8日を迎えた。プーチン露首相(前大統領)はグルジアの反撃を誘うための「罠(わな)」を仕掛けたのだ
グルジアでは03年の政変「バラ革命」で大統領の座に就いたサーカシビリ氏が欧米流の市場経済へと急速にかじを切り、対外政策でも欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)への加盟を目指す親欧米路線を鮮明にした。
グルジアはカスピ海沿岸や中央アジアから欧州方面に石油・天然ガスを輸送する回廊にもあたり、「脱露」が独立国として発展する道筋と考えたからだ。
■「周り敵だらけ」
サーカシビリ大統領に近い戦略・国際研究財団のロンデリ所長(69)は、ロシアが紛争を誘発した理由について「地政学的要衝としてのグルジアを統制し、旧ソ連圏は自国の『裏庭』『特権的利益を有する地域』であることを示すためだった」と指摘。「ロシアは『周りは敵だらけだ』という偏執病を抱えていて、モスクワを向かない者を許せないのだ」と語る。
ロシアは紛争後、停戦合意を破りアブハジアと南オセチアの独立を一方的に承認し、それぞれ数千人規模の部隊を居座らせている。
そして、紛争前のグルジアと同様、ロシアが独立派地域に「平和維持部隊」を置いてにらみをきかせている旧ソ連構成国は、他にもある。
(4) “劣化”止まらぬロシア軍
source : 2011.12.11 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
黒海から地中海に抜けるウクライナ。中国やアフガニスタンと接するタジキスタン。グルジアと同じカフカス地域のアルメニア。
「どこも地政学上、重要な意味がある」
モスクワの軍事評論家、コロトチェンコ氏がそう指摘するこれら3カ国の軍事拠点について、ロシア軍は昨年以降、駐留期間を49~25年間延長した。
「国益を守るために海外の基地は維持しなくてはならない。大国の政策として必要なのだ。旧ソ連圏に北大西洋条約機構(NATO)や米国が影響を及ぼすことは許せない」(同氏)
これに加え、プーチン露首相は来春の大統領選への出馬を表明した後の10月、向こう3年間で1兆円相当を軍需部門に投じ、兵器の近代化を図ると明言した。
経済統合と重ね合わせると、プーチン氏が目指す「ユーラシア連合」の最終形は軍事同盟の強化でもあるのではないか-。そんな疑念も浮かぶ。
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2008年のグルジア紛争は、ロシア軍のスリム化と局地戦に重点を移す軍改革を加速する役割を果たした。「それでも問題は少なくない」とモスクワに住む別の軍事評論家、ゴリツ氏はいう。
同氏によると、約35万人いた将軍ら士官の4割は制服を脱ぎ、“頭でっかち”だった指揮系統は改善されつつある。総勢約120万人だった軍人は100万人余まで削減。広い国土に点在していた小規模拠点の8割を廃止して拠点を集約する陸軍改革も進行中だ。
だが、兵器製造については、技術革新の見通しは決して明るいものではない。有能な若者が加わらず、技術者の高齢化も深刻な問題だといわれる。
「ネジなど基盤部品の製造工場は(ソ連のような)計画経済でしか存続しえず、みな1990年代に業態を変えるか閉鎖された」と話すゴリツ氏は、国庫の先行きとは別の観点から、2020年までに70%を最新兵器に切り替えるという軍の装備近代化計画の実現を危ぶむ。
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「障害があるのに招集令状が来た」「母が病気になった。期間を短縮したい」
モスクワ市北西部の非営利団体「兵士の母委員会」。訪れる相談者は絶えず、電話もひっきりなしにかかってくる。08年に期間が最大2年から1年に短縮された徴兵制を中心に、相談は年間3千件を超える。
新兵に対する上官の「いじめ」は軍の病巣といわれてきた。サリホフスカヤ会長(73)は「新兵に対する肉体的ないじめはやや減ってきた。食事も選べるようになるなど待遇面の改善が進んでいる」と認める一方で、「男の子は街でビールを飲んだり女の子と遊んだりで、入隊にふさわしい体力に劣る」と話した。
医師を買収して偽の診断書を書かせるといった「徴兵逃れ」も横行する。年間2万~3万人、総計で20万人が忌避したといわれる。親のコネで徴兵を免れたり、軍隊とは思えない至れり尽くせりの兵舎をあてがわれ、規律が緩んだりしているケースもある、と聞いた。
前出のコロトチェンコ氏も、「(兵士の)多くは不平等だと考えている。概して金持ちの子は兵役に就かないので、労働者や農民の子の軍隊になる。士気にかかわる問題だ」という。軍は徴兵制から契約制への移行を進めているが、現状では士官と契約軍人は2割ずつにすぎず、残りは1年限りで退役する徴兵だ。
「だれを守るために戦えというのか。プーチンを守るために命を捨てろとでもいうのか」。徴兵が終了したばかりの男性(25)がつぶやいた。
(5)シベリア分離主義の脅威
source : 2011.12.13 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
広大なロシアのシベリア各地に流布している噂がある。「1年以上も前に行われた国勢調査の『民族構成』に関する結果がいまだに公表されないのはおかしい。多くの人が自らを『シベリア人』と称したことが都合が悪いのではないか」
実際、あるロシア誌は統計当局者の話として「シベリア人との回答は誤差やユーモアで済まされない水準だった。前回調査からの8年間で彼らはロシア人からシベリア人になったのだ」と伝えた。インターネット上でも「われらはシベリア人」といった運動が盛り上がりを見せている。
イルクーツク大歴史学部のシュミット助教授(40)は、ロシアからの分離運動を思わせるこの現象について「連邦中央に対する抗議のシグナルだ」と指摘。「ロシアの富は石油・天然ガスなどシベリアの膨大な地下資源がもたらしているのに、なぜ暮らしぶりがかくも悪いのかという問題意識がある」と説明する。
「イルクーツク州の税収の3分の2はモスクワに吸い取られている。それでいて給与水準はモスクワの半分か3分の1だ。物価は高く、環境に悪い産業もシベリアには多いといった不平等に人々は憤怒している」
■企業城下町の苦境
イルクーツクから約170キロのバイカリスク市(人口約1万4千人)。ソ連時代、計画経済の分業体制に基づいて各地につくられた企業城下町の一つである。同市を支えるセルロース・製紙工場が「シベリアの真珠」とたたえられる世界遺産、バイカル湖に汚水の垂れ流しを再開したのは2010年1月だった。
こうした企業城下町の多くはソ連崩壊後、製品に競争力がないことやソ連型の生産連関が崩れたことから危機的状況に陥った。バイカリスクも例外ではない。
地元の環境保護団体を主宰するリフワノワさん(50)は「政府が08年からセルロース・製紙工場の排水を禁止すると、工場は費用のかかる閉鎖的な廃水処理システムをつくれず、操業停止に追い込まれた。ところが、プーチン首相(前大統領)が政令を書き換えて再稼働させたのです」と語る。
市内にはこの工場と飲料水製造くらいしか産業がなく、雇用確保のために汚水垂れ流しを容認した形だ。
全国各地に散在する企業城下町の苦境は、地方経済の低迷と国の無策ぶりを象徴している。
■中央集権化に反発
プーチン前大統領期、ロシアでは地方知事が大統領による任命制とされ、下院選の選挙区制度も廃止されるなど、「垂直の権力」と呼ばれるトップダウンの強権体制が構築された。
イルクーツクの社会学者、ロジャンスキー氏(53)は冒頭の「シベリア人」運動について、「自分たちがロシアにあって植民地と化していることへの反発がある」と指摘。「自立して問題を解決する地方自治の仕組みが求められており、経済でも地域の横のつながりから活路を見いだせることは多い」と話す。
同市で地元紙を発行するクレホフ氏(50)は、もはやシベリアの自治や独立を議論すべきだという確信的な分離主義者だ。氏は「帝政ロシアもソ連も、中央集権化を強めるや解体への反動が起きた。ロシア連邦という名の帝国でも、全く同じことが起きているのです」と警告する。
「ロシアの広大な国土を統治するには強権が必要だ」としばしば説明されるが、それが実は水面下で遠心力を強めている。4日投票の下院選でプーチン氏の与党「統一ロシア」が苦戦したのも、反モスクワ機運の強いシベリアのイルクーツクやノボシビルスクだった。
(6)「皇帝」の足元 相克する価値観
source : 2011.12.15 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
ロシアのウラル地方ズラトウスト市の冶金(やきん)工で、与党「統一ロシア」党員のチェルビャコフさん(31)は4月、メドベージェフ大統領と党員の対話集会でこんな“陳情”をした。
「工場が3交代制なのに、食堂は第1勤務の時間しか営業せず、第2勤務の人は路面電車の終電にも間に合わない。工場の設備が古いために仕事がきつく、月給は1万3千ルーブル(約3万2千円)と安い」
この後、工場経営陣が大統領による叱責を恐れたのか、食堂は第2勤務の時間帯にも営業、終電は30分遅くまで運行するようになるなど「状況は劇的に変わった」とチェルビャコフさんは喜んでいる。
こんな身近な問題を自分たちで解決せず、大統領に何とかしてもらおうというところにロシア人の心理的特殊性がある。クレムリン(大統領府)には年間約80万件の請願が寄せられ、うち2割以上は実に住宅・公共サービス関連だという。
「ロシア人には、13世紀のモンゴルによる侵攻から第二次大戦の独ソ戦に至るまで、絶え間ない戦争を生き抜く中で軍隊的な国民心理が形成された」。こう語るモスクワ大のアスラノフ教授(73)は、ロシア人が独裁と隷従の関係を受け入れる半面、問題を解決するのは指導者の仕事だと考える傾向を指摘する。
「有能な人物が長期的に指導者の座にあることはロシア人にとって当然であり、プーチン首相(前大統領)はその国民心理を分かっているからこそ大統領に返り咲くつもりなのです」
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ソ連崩壊とその後の急進改革で、大多数のロシア人が混乱と困窮にあえいだことはこれまでに紹介した。2000年に大統領に就いたプーチン氏は「ソーセージを約束するから自由は我慢せよ」との“暗黙の契約”を国民と結び、その強権統治は「安定」を望む国民多数派の支持を得たのだ。
プーチン氏は、政治と並んで主要経済分野の統制も推し進めた。旧ソ連国家保安委員会(KGB)やサンクトペテルブルク副市長時代の同僚といった側近を大国営企業の幹部に送り込むのが典型的手法だった。
プーチン氏の側近集団は国内総生産(GDP)の10~15%にあたる資産を握り、国営セクターの割合はGDPの50%に増大したとも推定されている。“山分け資本主義”で資金の流れを押さえていることもまた、氏の権力の源泉なのだ。
だが、この強固に見えたプーチン体制にも明らかなきしみが生じ始めた。4日に行われた下院選での大規模不正疑惑に抗議し、プーチン前政権が発足して以降で最大の反政権デモが起きたことがそれを物語る。
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首相補佐官などを務めた経済学者のデリャギン氏(43)は「今や食事や衣服には事欠かない国民が半数を超え、約16%は中産階層とされる。これらの人々が市民としての権利を意識し始めたのです」と説明する。フェイスブックなどソーシャル・メディアの普及が果たす役割も大きい。
氏は、国にバラマキ向けの蓄積資金があることや冒頭に紹介したようなロシア人の伝統的心理を挙げ、「政権にはまだ状況を安定させておく余力がある」と指摘。ただ、「14年かそれ以降になると、石油価格の下落など何かのきっかけで動乱の時代に突入する恐れがあります」と予測する。
ソ連崩壊から20年の節目の年に大統領返り咲きの意向を表明し、旧ソ連圏を再統合する「ユーラシア連合」の野望までぶち上げたプーチン氏。だが、何より「盟主」の足元で、新旧の価値観が相克しながら変化が起き始めているのである。
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