source : 2017.03.27 田中秀臣の超経済学 (ボタンクリックで引用記事が開閉)
まさか21世紀の日本で大がかりな「魔女狩り」を目撃できるとは、というのがここ最近のマスメディアをみての率直な感想である。言わずと知れた「森友学園問題」についての、一部の新聞やテレビでの論調のことである。
様々な「問題」が喧伝されて何がいったい論点なのかさっぱりわからなくなっているが、簡単にいえば、学校法人森友学園に払い下げた国有地が周辺の取引価格の実勢よりも極端に低かったこと、それについて予定されていた小学校の「名誉校長」であった安倍昭恵首相夫人とまた安倍晋三首相が、その土地の値引き交渉に関与していたか否かである。
この話は二段階になっていて、
1)国有地の売却価格が違法なほど低かったのか、あるいは違法ではないまでも過度に「裁量」が働いたような価格だったのか否か、
2)首相夫人と首相は本当に関与したのか、そのときの「見返り」はなんだったのか、
という問題であった。
1)についての論点はかなり整理されてきていて、簡単にいえば適法ではあるが、森友学園の事例については、財務省近畿財務局の判断に「政策のミス」の疑いが濃厚である。通常は入札により競争者を募り、公正な条件で販売価格を決めればいいはずが、財務省が主導して森友学園側との相対取引で性急に条件を決めてしまった。財務省側は言い分があるかもしれないが、これは現場サイドの致命的な判断ミスである。
もちろんその「言い分」の中には当該する国有地が置かれた歴史的・環境的な要因があるだろう。だが説明が複雑になるだけで、要は現場の判断ミスであると考えれば、いまのところそれでいい。財務省は今回の件で、その責任をやがてとらざるを得ないだろう。実際にはローカルでたかだか一学校法人との取引ミスにすぎないにせよ、問題が拡大しすぎてしまった。
2)については、現在までマスメディアや世論の大半に「疑惑」を抱かせたままである。だがあえて言えば、その「疑惑」には安倍政権への過度な批判が招いたバイアス(偏見)が作用しているように思える。籠池泰典理事長の証人喚問での発言によれば、首相と首相夫人が国有地の値下げ交渉に関与したという発言はなかった。また攻める側の野党やマスコミにもこの「関与」を裏付ける証拠はない。つまりこの国有地の価格引き下げ問題という最大の論点であり、そもそもの森友問題の出発点について事実上問題は“解決”しているはずである。
ではどこについて世論は「疑惑」を抱き続けているのだろうか。私見では主に二点である。ひとつは、首相夫人の森友学園への寄付金問題、もうひとつは、昭恵夫人付政府職員が財務省に国有地における小学校建設について問い合わせた件だ。
前者について籠池氏の国会証言と昭恵氏との間では事実認識が食い違っている。これはもはや国会で明らかになる問題ではない。籠池氏の発言が偽証や名誉棄損などの可能性があるならば、司法や捜査機関の出番である。筆者はその方がこの問題は早急にけりがつくと思っている。ただし念を推しておきたいのは、昭恵氏が学校法人に寄付したこと自体はなんの違法性もないということだ。なぜこれがいかにも「悪」のように受け取られているのか、そこにはマスメディアなどの報道の在り方、問題があるのではないか、という感想を抱いている。
政府職員の問い合わせについては、そもそも国有地の価格引き下げ交渉ではない。政府職員がさらに上長と相談して問い合わせを行ったとしても、違法でもなければ、道義的責任を問われるものでもない。実際に、籠池氏へ政府職員が送ったファックスの内容は問い合わせ以上の関わりを「謝絶」する内容を含んでいた。だが、野党もそして安倍政権に日頃から批判的なメディアも、これを土地取引への「関与」だとして批判し続けている。
問題は、土地取引に関して価格面などで籠池氏側に有利に働いたかどうかのはずだ。現行の法規についての問い合わせには、交渉手段になりえる要素はない。これが常識的な見解だと思うが、単なる問い合わせさえも政権交代を要求するほどのものに映る人たちがいるようだ。さらに、自制のタガが完全に外れたようなマスコミの報道姿勢がこの風潮に作用している面もある。
とどめは、財務省近畿財務局をはじめ、関係した省庁や職員などに、安倍首相や首相夫人を「忖度(そんたく)」して、便宜が図られたのではないか、という「疑惑」である。そしてこの官僚たちの「忖度」(相手の気持ちを慮ること)の責任を、安倍首相に要求していることだ。つまり官僚たちに「忖度させた罪」を首相は認めて、政治的責任をとれということである。
例えば、テレビ朝日の報道番組で、コメンテーターの後藤謙次氏が「安倍首相も忖度がないと言うなら、ないという物証を出すべきだと思うんです」と発言していた。忖度は人の心の中で生まれるものであって、それを他人である首相がどうやって物証で「忖度のあるなし」を証明するのだろうか。後藤氏だけではなく、類したことを発言している識者やメディアがかなりいて、それらの人たちはあたかも魔女裁判を現在の日本に復活させているかのようだ。悪質な報道姿勢であると断じていい。
仮に安倍政権への批判があるならば、堂々と政策論争で競えばいい。しかし実体的には、ほとんど根拠のない「疑惑」や魔女狩りめいた「忖度」の有無で、国会での貴重な時間を浪費している。まさに亡国の国会である。裏返せば、野党に安倍政権に代わる政策が打ち出せない無能力が、森友学園問題の膨張を生んだともいえる。世論は、森友学園問題の「疑惑」が解明されてないと思う反面、しっかりと野党の無策はみているようで、民進党など野党の多くはこの二か月近く支持率が低迷もしくは下落していることで明らかだ。
人間は合理的判断と不合理的判断の混交体といっていい。合理的判断が勝れば、現代の魔女狩りのような「忖度」という論点は時間の経過とともに消滅していき、具体的な問題がなんなのか、より鮮明になるはずである。他方で、人間には不合理な判断をする余地がとても多い。経済政策の評価についても、専門家ではない大衆の理解にはバイアスが作用しやすいことが知られている。そしてそのバイアスはメディアの力によって強化されていく。
例えば、昭和恐慌期には、当時の朝日新聞や毎日新聞など主要メディアは、デフレや不景気を極限まですすめれば、経済の「悪」が淘汰されてより高い成長が可能であると信じた(清算主義)。主要メディアの大半がそのような報道姿勢であり、政界含めた世論の大勢もこの清算主義の考え方であった。だが、この清算主義は経済学的には間違った経済思想である。実際にこの清算主義を採用した当時の日本経済は恐慌に陥り、失業、倒産、子女の身売りなどが激増した。社会情勢は不安定化し、解決の糸口はまったくなくなってしまった。
このようなバイアスがメディアによって増幅・伝播していく恐ろしさを、今回の森友学園問題でも体験していると筆者は思っている。少なくとも、司法や警察の手を借りなくても、「忖度させた罪」などという歪んだ意見がメディアから消えることを願いたい。まさに罪なきところに罪を見出す最悪の発言だからだ。
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