source : 2016.02.22 iRONNA (ボタンクリックで引用記事が開閉)
■保守派陣営への罵詈雑言
“TBSの顔”と評して間違いない。平日は連夜、「NEWS23」(MC・膳場貴子)のアンカーを務める。日曜日にも毎週、「サンデーモーニング」(司会・関口宏)のコメンテーターとして出演。TBSの社長を知る視聴者は少ないが、彼の顔は広く知られている。
安住紳一郎アナを別格とすれば、凡百の局アナより知名度が高い。TBSの報道を主導している。「顔は言い過ぎ」との反論を封じるため、「NEWS23」公式サイトを借りよう。
TBS/JNN系列でもおなじみの“顔”であり、週末の「サンデーモーニング」や各ニュース番組、選挙特別番組などでコメンテーターとして活躍中
実際、たとえば二〇一四年末の報道特別番組「報道の日2014」(司会・関口宏、膳場貴子。TBS系列)にゲスト出演した。二〇一五年末も同様の待遇となろう。ちなみに、上サイトはこう続く。
「政治はもちろん、経済・社会から世界の動向まで、鋭い視点で切り取り、時代の深層を抉り出す力、さらにそれを明解な分析と分かりやすくテレビで伝えることができる力。この双方を備えた、稀有なジャーナリストといっても過言ではない」
まさに、べた褒め。恥の感覚を忘れた自画自賛と言ってもよい。我田引水、誇大広告、虚偽宣伝と評してもよかろう。以下、そう評する理由を述べる。
岸井成格。一九四四年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。ワシントン特派員、政治部副部長、論説委員、政治部長、編集局次長、論説委員長などの要職を経て、〈記者のトップである主筆を3年間務めてきた〉(TBS)。いまもアンカー業の傍ら、毎日新聞特別編集委員(役員待遇)を兼ねる。
TBSに加え、“毎日新聞の顔”と言ってもよい。事実、毎日新聞社の公式サイトは「情報番組などにコメンテーターとして出演するなど、毎日新聞の“顔”として多くの人におなじみの論客陣」のなかで岸井をトップで紹介している。
新聞「記者」、それも論説委員長や主筆まで務めた毎日の“顔”にしては著書が少ない。単著は『大転換──瓦解へのシナリオ』(毎日新聞社)だけ。対談本を含めた共著が三冊。編著を入れても合計七冊しかない(国立国会図書館サイト検索)。
問題は量より質だ。最新刊(二〇一三年三月刊)は、佐高信との対談『保守の知恵』(毎日新聞社)。なかで安倍晋三総理や閣僚を「タカ派」と断じて呼び捨て、揶揄誹謗している。政治家に限らない。自称「保守の知恵」を語りながら、いわゆる「保守」陣営への罵詈雑言を重ねている。
■岸井氏と佐高氏の恥ずかしい誤解
いまに始まった手法ではない。同書は、二〇〇六年発刊の『政治言論』(毎日新聞社)の続編に当たる。同じ対談本で、相手はもちろん佐高信。なかで佐高が「偏狭なナショナリストが晋三の周りにはたくさんいる」「たとえば岡崎久彦なんていうのも入っているわけでしょう?」と訊く。
岸井の答えは以下のとおり。
「入ってる。中西輝政とか八木秀治とかね」
物心両面にわたり、岡崎大使のお世話になった者として聞き捨てならない。岡崎研究所特別研究員として岸井に問う。岡崎の、どこがどう「偏狭」なのか。一連の著作はどれもバランスがとれている。「真正保守」を名乗る右派から「親米ポチ保守」とレッテルを貼られたアングロサクソン重視派の岡崎が、「偏狭なナショナリスト」のはずがない。
同書発刊当時は第一次安倍政権。つまり岸井と佐高は、第一次、第二次とも安倍政権のときに対談し、総理以下の安倍陣営や保守派を揶揄誹謗してきた。念のため検索してみたが、「八木秀治」なる人物に該当者はいない。
ありがちな文字変換ミスでもこうはならないが、「八木秀次」(麗澤大学教授・日本教育再生機構理事長)の間違いであろう。お互い様なので、誤字誤植は咎めない。
問題は認識評価である。同書によるなら、たとえばフジテレビジョンは「偏狭なナショナリスト」に番組審議委員を委嘱したことになってしまう(八木は委員)。偏狭なのは岡崎や八木ではなく、岸井と佐高の主義主張ではないのか。
同書で岸井はこう語る。
「理想論とかを頭に置いていると、政治記者という仕事はできない。もし理想論にこだわる人だったら、独立すべきだよ」
ならば、新聞社の役員待遇にしがみつくことなく、さっさと自主独立すべきであろう。なぜなら、そういう岸井自身が、よく言えば理想論、普通に言えば偏狭な主義主張にこだわる人だからである。
「理想論」にこだわるあまり、真実も事実も見えていない。たとえば、いわゆる尖閣問題に関連し、最新刊の続編でこう語る。
「これは言いにくいところだけれども、自衛隊、それから海上保安庁も、実力組織というのはこういう時になると、強硬論が台頭してくる」
続けて、佐高が根拠を挙げずに「絶対そうなるだろう」と追従。岸井がこう続けた。
「しかしこういう時こそ慎重にならなければいけない。戦争に向かう時ってこうなんだ。軍部の本質というのはこういうものなんだ、という気がするな」
気のせいにすぎない。彼らの錯覚であり、恥ずかしい誤解である。自衛隊(と海保)の名誉のため、訂正しておこう。「絶対そう」ならない。対談から三年近く経つが、現にそうなっていない。
■自衛隊への強い偏見
論証は以上で足りるが、念のため付言しておく。たしかに当時、一部の「保守」が自衛隊の尖閣派遣や部隊常駐論を唱えた。彼ら彼女らは全員、ジャーナリストや学者、文化人であって、現役自衛官でもなければOBですらない。
軍事や防衛には疎い人々が、「強硬論」ないし「理想論」を唱えただけ。それが現実にいかに困難かを説明して“慎重論”を唱えたのは、他ならぬ自衛隊である。われわれOBや現役の将官、佐官であった。
つまり、事実関係は正反対。完全な事実誤認である。「軍部」や「自衛隊」に対する偏見や蔑視が生んだ恥ずかしい誤解である。
自衛官に対する差別的な偏見は、今年も健在だ。拙著最新刊『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』(PHP新書)で指弾したとおり、岸井は今年三月八日放送の「サンデーモーニング」で、いわゆる「文官統制」を是正した安倍政権をこう誹謗した。
「総理大臣は最高指揮官なんですね。そうすると、軍人というのは命令に従う組織なんです。総理から言われたら、異を唱えるとか反対はできない。そういう組織なんです。それをチェックして『ちょっと待って下さい』と言えるのは文官しかいない。それを忘れてますよ」
これもすべて間違い。総理は「内閣を代表して」(自衛隊法七条)指揮監督できるだけ。「内閣がその職権を行うのは、閣議による」(内閣法四条)。このため、防衛出動には閣議を経なければならず、アメリカ大統領のような名実ともの「最高指揮官」ではない。また、自衛官は名実ともに「軍人」ではない。
許し難いのは後段だ。自衛官には服従義務があるが、文官なら総理の命令や指示を「チェックして『ちょっと待って下さい』と言える」らしい。岸井こそ重要な事実を忘れている。行政権は内閣に属する(憲法六十五条)。総理は内閣の首長である(同六十六条)。「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する」(内閣法六条)。
岸井流に言えば、全省庁の「最高指揮官」である。
岸井が特別扱いする「文官」も、法的な身分は国家公務員。ゆえに、「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」(国家公務員法九十八条)。それを「チェック」して「ちょっと待って下さい」など、違法かつ不忠不遜な服務である。
さらに岸井は、安保法制で各種の「事態」が乱立している現状を「言葉の遊び」と揶揄し、こう述べた。
「五つぐらいあるんですよ。新事態、存立事態とか武力行使事態とか周辺事態とかね」
「事態とは何かと言うと戦争なんです。戦時体制ってことなんです。武器とか戦時体制って言葉を使いたくないんですね。だから言葉を変えようとするんですよ」
■聞きかじりで知ったかぶり
バカらしいが、手短に訂正しておこう。岸井は、「集団的自衛権 事態がどんどん増える」と題した前日の三月七日付毎日社説を読んだのであろう。聞きかじりで知ったかぶりするから間違える。事実面での間違いに絞り、指摘しよう。
まず、岸井の言う「新事態」と「存立(危機)事態」は同じ概念である。そこから分かっていない。「武力行使事態」というが、そんな言葉もない。多分、「武力攻撃事態」と混同している。悲しいかな、最後の「周辺事態」だけが実在するが、岸井が何と言おうと「戦争」ではない。「戦時体制」とも違う。
法律上、周辺事態で自衛隊は武力行使できない。「武力による威嚇」すらできない。それを「戦争なんです」と断じるのは、暴論ないし妄想である。いわんや、「武器とか戦時体制って言葉を使いたくないんですね。だから言葉を変えようとする」との断定においてをや。もはや低俗な陰謀論にすぎない。
この日限りではない。前週の同番組でも、自衛官に対する差別的偏見が露呈した。
「以前、防衛省を担当したことがあるんですが、中谷大臣の会見を聞いて『ああ時代が変わったな』と思いましたね。我々がいた頃は、まだ常識的に、非常に感覚的にアレかもしれませんが、文民統制とそれを補充する文官統制は、戦前の軍部のドクセイ(独裁? 独走?)に対する反省、とりわけ日本の場合、非常にそれが甚だしかったんで、それを担保するものだと感じてたし、また考えてたんですよね。
大臣は『まったくそうは思わない』っていうことですわね。そこは何でそういうことになってきたんだか。中谷大臣はアレ、自衛官出身ですから、ちょっとそういうとこあるかもしれませんけど。とにかくあの(以下略)」
きわめて差別的な暴言ではないだろうか。もし差別でないなら、「そういうとこ」とはどういうとこなのか、具体的に示してほしい。ついでに「アレ」の意味も教えてほしい。
■「CIA陰謀説」はオフレコ
事実関係も承服できない。かつて防衛庁長官官房広報課(対外広報)で勤務したが、私がいた頃は右のごとき「常識」や「感覚」はなかった。正確と公正を期すべく付言しよう。
以上の問題発言に先立ち、司会が「歯止めがなくなる」と誘導したにもかかわらず、田中秀征(福山大客員教授)は「制服組のほうが慎重であるということも十分ありえる」「戦前の軍の暴走のようになるかと言えば、そんなことはない」と抑制。
西崎文子(東大教授)も、「必ずしも軍人が好戦的で文民が平和的だとは思わない」とコメントした。せっかく両教授が示した見識を、以上のとおり、レギュラーの岸井がぶち壊した。
本来なら当たり前の話だが、派遣されるのは当の自衛隊。自身はもとより、同僚や部下を危険に晒す。高いリスクに加え、コストも負担する。必要な予算を捻出せねばならない。
自衛隊に限らず、軍隊はいったん命じられれば粛々と任務を遂行するが、基本的に慎重姿勢となる。威勢がいいのは、たいてい文官や政治家。そうでなければ、決まってジャーナリストである。リスクもコストも負わない軽佻浮薄な人々である。
今年(二〇一五年)の終戦記念日、そのジャーナリストが集う「日本ジャーナリスト会議」で岸井が講演した。
「戦争法案」は衆院で強行採決された。戦後70年を迎え、安倍政権は若者たちを戦場へ送る方向へ突っ走っている。その実態、危険性などについて、ニュースの最前線から岸井氏が解説する(同会議公式サイト)
どんな連中を前に、どんな話をしたのか。聞かなくても想像がつく。念のため、講演録を検証しておこう。
「安保法制とは何か。いつでもどこでも世界地球規模、どこへでも自衛隊を出します、と。アメリカから手伝ってくれ、助けてくれと要請があった時には自衛隊を出すんですね」
「巻き込まれるどころじゃないんですよ。アメリカの要請があったら、積極的にアメリカがかかわっている紛争地や戦闘地域に送るんですよ!」
右を裏付ける事実は一切ない。平和安全法制(いわゆる安保法制)に該当条文はない。しかも土壇場の与野党合意により、「例外なく事前の国会承認」が前提条件となった。ゆえに「アメリカの要請があったら」ではなく、「事前に国会が承認したら」が正しい。
岸井は以下の見通しも披瀝した。
「臨時(?)国会を延長と言いますか、先送りと言いますかね。この国会で一気に成立させないで、国民の反発が強すぎるから政権が倒れちゃうんじゃないの、それをやると、という判断がおそらく出てくるんだと思うんです。その空気は、いま自民党のなかにも芽生えつつある」
結果、そうならなかった。三つの野党を含む多数が賛成。通常国会で可決成立した。岸井は講演の最後をこう締めた。
「最後に取っておきのオフレコです。安倍政治をずっと見ていて、思い出す言い伝えがある。「政権維持の三種の神器」。一がアメリカ、二、三がなくて四が財界、五がアンダーグラウンド人脈。これは生きているんです。(中略)なかでもアメリカは飛び抜けている。トラブったり何か問題があったりしたら、政権は必ずやられる。田中角栄さんがトラの尾を踏んだと言って話題になりました。いまの安倍さんがやっていることを見ると、まさにそのとおり。三種の神器ですよ。
そして右派、右翼、アンダーグラウンドのフィクサーに続いている。また三種の神器が甦ってきたな、大丈夫かこれで、という気がします。(中略)
風向きだけでなく、やや潮目も変わり始めているのかな、だからメディアもジャーナリズムの役割も大きくなっている。そういう感じがしています」
バカらしいが訂正しておこう。結果、そうならなかった。風向きも潮目も変わらず、可決成立。護憲派メディアは惨敗。その役割を終えた。
最大の問題は、田中角栄に関するくだりである。低俗な陰謀説を「取っておきのオフレコ」と語る神経は正常ではない。前出『保守の知恵』を借りよう。
「アメリカの意志によって田中をロッキードで葬りさろうとした──そういう見方もあるが、俺の取材した中ではそうした事実はないし、これは一種のCIA陰謀説の一つだな」
こう語ったのは、他ならぬ岸井自身である。その二年後に、講演の最後を俗悪な「CIA陰謀説」で締める。これで生計が立つのだから、アンカー業とは気楽な商売だ。
■「拉致被害者を北に戻せ」
いや、罪深い仕事と言うべきであろう。二〇〇二年十二月一日放送の「サンデーモーニング」で、誰が何をどう語ったか。翌々日付「毎日新聞」朝刊の連載コラム「岸井成格のTVメール」で振り返ろう。
私は「一時帰国の被害者5人をいったん北朝鮮に戻すべきです」と、一貫して主張してきた持論を繰り返した。/同席していた評論家の大宅映子さんは「私もそう思う」と同調した。/それが良識であり、国と国民の将来を考えた冷静な判断だろう。/私の知る限り、政府の強硬姿勢が世論の大勢とは到底思えない。/番組終了後も、田中秀征さん(元経企庁長官)は「政府が5人を戻さないと決めた時、背筋にゾッとするものを感じた」と率直に語っていた。勇ましい議論と感情論に引きずられる時の「この国」の脆弱さだ。(中略)「人はパンのみにて生きるにあらず」だ
拉致被害者やご家族、ご友人、支援者らがどう感じたか。想像するに余りある。いまからでも遅くない。関係者に謝罪し、放言を撤回すべきではないのか。
『聖書』を引用して北朝鮮の主張を擁護するなど、もっての外。右聖句は「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と続く。
まず、悪魔(サタン)が「石をパンに変えてみよ」と誘惑する。イエス(キリスト)が『旧約聖書』を引き、右のとおり答える。
岸井に問う。
「一時帰国の被害者5人をいったん北朝鮮に戻すべき」との主張こそ、サタンの誘惑ではないのか。少なくとも、『聖書』を論拠に公言すべきことではあるまい。引用を完全に間違えている。
岸井は二〇〇六年四月発行の対談本『これが日本の本当の話』(ロコモーションパブリッシング)でも、こう放言した。
彼らを一旦帰国させて向こうに残してきた家族とも話し合う。それを突っぱねていれば拉致問題の全面解決も遠のいて、最後には、「戦争するか」となっていく危険性が大いにある
もはや確信犯と評すべきであろう。ここでは「聞き手」(元木昌彦)も共犯者。以下のとおり導入する。
「テレビにハラが立っている。(中略)いくら孤立無援の国の独裁者だとはいっても、連日、“悪魔”のように言い立てるのは度が過ぎる」
私は右にハラが立つ。北朝鮮にハラが立つ。それが正常な感覚ではないのか。それを「悪魔のように言い立てるのは度が過ぎる」と独裁者を擁護する。
しかもタイトルは、「事実関係の検証をおろそかにして短絡的な報道に流れる今の風潮を危惧」。
具体例の一つに、「北朝鮮拉致被害者の扱いの問題」を挙げていた。他局のテレビ番組にハラを立てて「短絡的な報道」を危惧する前に、自ら発した言葉を検証してみてはどうか。
■常軌を逸した安保報道
最近の安保法制批判も常軌を逸している。岸井らは、どんなに悲しい朝も日米両政府への批判は忘れない。邦人テロの悲報が流れた二月一日も、岸井は「サンデーモーニング」で英米への批判を語った。
先日(現地時間十一月十三日金曜夜)のパリでの惨劇を受けた十一月十五日放送の「サンデーモーニング」でも、「テロは許さないというのが欧米(の主張)だが、イラク戦争がそういうの(土壌)をつくっちゃった」「十字軍以来の憎悪の連鎖がある」と被害者(欧米)を責めた。
加えて「安保法制もできましたからね、(日本も)ターゲットになりやすい」と視聴者の不安を煽りながら、「今度の安保法制、危ないなと思った最初は、ペンタゴンのドンと言われる人たちを取材して」云々以下、趣旨不鮮明かつ検証不可能な話題を延々と続けた。肝心のテロ非難は番組最後の数秒だけ。いったい、どういう神経なのか。
その前週放送の同番組は、南シナ海問題を特集した。この日は西崎文子(東大教授)が留保を付言しつつも、「日米同盟を強化するのは基本的に良いことだと思う」。続けて田中秀征(福山大学客員教授)が、「人工島の十二カイリが領海だと認めれば、他の国もみんなやりますよ。国際法秩序、海洋法がまったく成り立たなくなる。アメリカの行動は正しいし、国際世論も賛成している。ここは絶対に譲ってはいけない」。
この番組にしては珍しい展開になった。
ところが、司会者(関口宏)から「自衛隊の話がチラチラ出てきましたね」と振られた岸井が以下のとおり、いつもの流れに戻し、いつものレベルにまで質を落とした。
「いや、一気に出てきましたね。特に新しい安保法制ができましたんでね、いつでもどこでも(新法が)施行されればですよ、アメリカの要請に応じて自衛隊を派遣するっていうことができるようになったわけです。
その前段階でアメリカが言っているのは、合同パトロールとか合同訓練をあの南シナ海でやりましょうっていう話があるんですよ、内々、そこへホントに出すのかどうかね。
そうすると、したたかな中国はおそらくアメリカに対する行動と日本の自衛隊に対する行動はおそらく分けてくると思うんです、分断を狙って。その時、本当に対応できるのか、とちょっと心配です」
この直後にCMへ。
せっかく西崎と田中が示した見識を木っ端微塵にぶち壊した。前掲拙著で詳論したとおり、「新しい安保法制」と南シナ海問題は直接関係しない。“古い安保法制”でも、要件を満たす限り「いつでもどこでも」自衛隊を派遣できる。
現に南シナ海でもどこでも、日米その他で共同訓練を繰り返してきた。掲載号発売中のいまも訓練中。岸井はまるで理解していない。
■批判すべき対象を間違えている
一週間前の同じ番組でも、同様の展開となった。NHK以下、他局が勝手にアメリカが中国の領有権を否定しているかのごとく報じるなか、TBSは正反対のスタンスで報じた(月刊『正論』一月号拙稿)。
この朝も「国際法では暗礁を埋め立てても領海と主張できないことになっているんですが、中国は」と解説し、埋め立ての現状を説明。「中国の海の軍事拠点ができるということになると、周辺の軍事バランスが一変してしまうのではと懸念されています」と紹介した。
司会の関口が、「(中国の主張や行動には)なんか無理があるように思うんですが、無理を続けてますね」と導入。それを岸井がこうぶち壊した。
「私が一番気になっているのは、米軍の作戦継続のなかに、自衛隊の派遣による合同パトロールの検討に入ってるんですよね。
これは分かりませんよ。だけども日本や欧州に、あの~う豪州ですかね、オーストラリアに対しても要請するのかもしれませんけど、だけどこれはね、中国がそうなると、アメリカ軍と自衛隊に対する対応って分けてね、分断するような、そういうしたたかさが中国はあると思うんで、よほど派遣については慎重に考えないといけない」
日本語表現の稚拙さは咎めない。ここでも問題は、コメントの中身だ。
岸井に問う。牽制すべき対象は安倍政権による自衛隊派遣ではなく、中国による埋め立てや海洋進出の動きではないのか。岸井は批判すべき対象を間違えている。
■国際法や世界の常識を無視
九月十三日放送の同番組でも、こう放言した。
「集団的自衛権という言葉が悪い。一緒になって自衛することだと思っている(国民がいる)が、違うんですね。他国(防衛)なんです。(法案を)撤回か廃案にするべき」
「集団的自衛権」は国連憲章にも(英語等の公用語で)書かれた世界共通の言葉であり、岸井のコメントは外国語に翻訳不可能。国際法や世界の常識に反している。
「悪い」のは「集団的自衛権という言葉」ではなく、彼の知力であろう。善悪を判断する知性を欠いている。
その翌週も凄かった。「どう考えても採決は無効ですね」「憲法違反の法律を与党が数の力で押し切った」と明言。こう締めた。
「これが後悔になっちゃいけないなと思うことは、メディアが法制の本質や危険性をちゃんと国民に伝えているのかな、と。いまだに政府与党のいうとおり、日本のためだと思い込んでいる人たちがまだまだいるんですよ。
この法制ってそうじゃないんですよ。他国のためなんです。紛争を解決するためなんです。それだけ自衛隊のリスクが高まっていく(以下略)」。
まだ、批判報道が足りないらしい。どこまで批判すれば気が済むのか。新法制は「存立危機事態」の要件を明記した(その後の与野党合意で、例外なく事前の国会承認ともなった)。その経緯を無視した独善である。前述のとおり、外国語に翻訳不能な暴論である。もし、彼が本気で「自衛隊のリスク」を心配するなら、別のコメントになるはずだ。
よりリスクの高い国連PKO活動拡大の「本質や危険性をちゃんと国民に」伝えたはずだ。国連PKOが「日本のため」ではなく、「他国のため」ないし「紛争を解決するため」であり、「自衛隊のリスクが高まっていく」と訴えたはずである。
だが、岸井は決してそうは言わない。国民が自衛隊のPKO派遣を評価しているからである。視聴者に“受けない”論点を避け、「集団的自衛権」や「後方支援」だけを咎める。自らは安全な場所にいながら、「危険(リスク)を顧みず」と誓約した「自衛官のリスク」を安倍批判や法制批判で用いる。実に卑怯な論法ではないか。
■卑怯な「平和国家」論
十月十一日の同番組でも、岸井は「平和国家のイメージが損なわれるだけじゃなくて日本自身が紛争当事国になる」「テロのターゲットになるリスクも抱え込む」と視聴者の不安を煽った。
百歩譲って、そのリスクがあるとしよう。ならば訊く。リスクは欧米諸国に負担させ、自らは決して背負わない。そんな卑怯な「平和国家」とやらに価値があるのか。
岸井の説く「平和(主義)」は美しくない。不潔である。腐臭が漂う。
一九九二年六月九日、国連PKO協力法案が参議院を通過した。自衛隊のPKO派遣はここから始まる。その当時、翌朝の毎日新聞に岸井はこう書いた。
「こうした政治の現状に目をつぶることはできない。不健全なシステムの中で決定されるPKO法案は、国民の信頼を得られないばかりか、国際的な理解を得ることもできないだろうということだ」
その後、どうなったか。自衛隊は見事に任務を完遂。PKO派遣に対する国民の理解は深まった。国際的にも高い評価を得ている。
そもそも「全国民を代表する選挙された議員」(憲法四十三条)で組織された国会を通過成立した法案なのに、「国民の信頼を得られない」と明記する感覚を共有できない。岸井の姿勢こそ、憲法と民主主義への冒瀆ではないのか。
以上の疑問は、すべて岸井の安保法制批判に当てはまる。“TBSの顔”がいくら「憲法違反」「採決は無効」と言おうが、事実と歴史が反証となろう。
今後、安倍政権の安保関連政策は(中国と北朝鮮を除き)内外から高い評価を得るに違いない。そうなったら岸井は何も言わず、きっと口を拭う。頬かむりを決め込む。PKO派遣についてそうしたように。
以上、すべてTBSの看板番組である。多くの視聴者が違和感を覚えたのであろう。
九月三十日、武田信二社長が「『一方に偏っていた』という指摘があることも知っているが、公平・公正に報道していると思っている」と会見した。社長は自局の番組を見ているのだろうか。
テレビは、「政治的に公平」「事実をまげない」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を求めた放送法を順守してほしい。
■新聞一面広告で指弾さる
同じ疑問を抱いたのは、私一人ではなかったと見える。「私達は、違法な報道を見逃しません。」──こう大書した意見広告が、十一月十四日付産経新聞朝刊に掲載された。九月十六日の「NEWS23」で、岸井アンカーが「(安保法案の)廃案」を主張した点を指弾した全面広告だ。
ただし、岸井の問題発言は右に留まらない。「廃案」どころか、九月六日の「サンデーモーニング」では、「潔く成立を断念し、一から出直すべき」「これを通すことは容認できない」とドヤ顔で明言した。その他、ほぼ毎週、言いたい放題を続けている。
どうせ岸井には馬耳東風であろう。NHKの「やらせ報道」を巡り、十一月九日の「NEWS23」で「不当な政治介入との指摘は免れない。そもそも放送法っていうのは権力から放送の独立を守るっていうのが趣旨ですから、その趣旨をはき違えないでほしい」とコメント。NHKではなく、逆に政府与党を批判した。
きっと、自身の「重大な違反行為」(意見広告)についても同様のロジックを掲げて逆ギレするに違いない。岸井の放言、暴言、暴走は留まるところを知らない。
追記
なお今回、この原稿を書くに当たり、『WiLL』編集部から岸井編集特別委員(兼アンカー兼コメンテーターその他)にインタビューを申し込んだが、許諾を得られなかった。おそらく、前掲拙著などが災いしたのであろう。もし実現していれば、以上の諸点について見解を求める所存だったが叶わなかった。意見広告に対する番組での言及もない。残念である。(本文敬称略)
『月刊 WiLL』 2016年1月号
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