source : 2013.10.16 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
産経新聞は15日、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の「河野洋平官房長官談話」の根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手した。証言の事実関係はあいまいで別の機会での発言との食い違いも目立つほか、氏名や生年すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しない内容だった。軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、決め手の元慰安婦への聞き取り調査もずさんだったと判明したことで、河野談話の正当性は根底から崩れたといえる。産経新聞は河野氏に取材を申し入れたが、応じなかった。
5年7月26日から30日までの5日間、ソウルで実施した聞き取り調査に関しては9年、当時の東良信内閣外政審議室審議官が自民党の勉強会で「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった」と証言している。ところが政府は、この調査内容を「個人情報保護」などを理由に開示してこなかった。
産経新聞が今回入手した報告書はA4判13枚で、調査対象の16人が慰安婦となった理由や経緯、慰安所での体験などが記されている。だまされたり、無理やり連れて行かされたりして客を取らされるなどの悲惨な境遇が描写されている。
しかし、資料としての信頼性は薄い。当時、朝鮮半島では戸籍制度が整備されていたにもかかわらず、報告書で元慰安婦の生年月日が記載されているのは半数の8人で空欄が6人いた。やはり朝鮮半島で重視される出身地についても、大半の13人が不明・不詳となっている。
肝心の氏名に関しても、「呂」と名字だけのものや「白粉」と不完全なもの、「カン」などと漢字不明のものもある。また、同一人物が複数の名前を使い分けているか、調査官が名前を記載ミスしたとみられる箇所も存在する。
大阪、熊本、台湾など戦地ではなく、一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で働いたとの証言もある。元慰安婦が台湾中西部の地名「彰化」と話した部分を日本側が「娼家」と勘違いして報告書に記述している部分もあった。
また、聞き取り調査対象の元慰安婦の人選にも疑義が残る。調査には、日本での慰安婦賠償訴訟を起こした原告5人が含まれていたが、訴状と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず二転三転している。
日本側の聞き取り調査に先立ち、韓国の安(アン)秉(ビョン)直(ジク)ソウル大教授(当時)が中心となって4年に行った元慰安婦への聞き取り調査では、連絡可能な40人余に5~6回面会した結果、「証言者が意図的に事実を歪(わい)曲(きょく)していると思われるケース」(安氏)があったため、採用したのは19人だった。
政府の聞き取り調査は、韓国側の調査で不採用となった元慰安婦も複数対象としている可能性が高いが、政府は裏付け調査や確認作業は一切行っていない。
談話作成に関わった事務方トップの石原信雄元官房副長官は産経新聞の取材に対し「私は報告書は見ておらず、担当官の報告を聞いて判断したが、談話の大前提である証言内容がずさんで真実性、信(しん)憑(ぴょう)性(せい)を疑わせるとなると大変な問題だ。人選したのは韓国側であり、信頼関係が揺らいでくる」と語った。
■河野談話平成5年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に心からのおわびと反省の気持ちを表明した談話。慰安婦の募集に関し、強制連行の存在を示す政府資料が国内外で一切見つかっていないにもかかわらず、「官憲等が直接これに加担したこともあった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと強制性を認定した。閣議決定はされていない。
歴史認識-慰安婦問題 河野談話「朝毎VS産読」鮮明に
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慰安婦問題が誤解を招くようになった最大の原因は平成5年8月に出された河野洋平官房長官談話だ。
談話は「従軍慰安婦」という戦後の造語を使い、その募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」と日本の軍や警察による強制連行を認める内容だった。河野氏も会見で「強制連行」があったと明言した。
当時、産経だけが「政府が何を根拠にこうした結論を導き出したのか必ずしもはっきりしない」「慰安婦のほとんどが『強制連行』だったということが歴史的事実としてひとり歩きしてしまうのは危うい」と河野談話に疑問を提起した。
他紙は談話を当然の結論として受け止めた。
朝日「被害者の名誉回復への前進である」
毎日「政府がこれまでの行きがかりから抜け出て率直に歴史を直視したことは一歩前進と認めたい」
読売「河野官房長官が『心からのお詫(わ)びと反省』の意を表明したのも当然だ」
当時、宮沢喜一内閣が内外で集めた慰安婦に関する公式文書も発表された。総数は二百数十点に及び、4年7月と5年8月の2回に分けて発表された。
■破綻した「強制連行」説
ところが、9年3月、河野談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官の証言により、日本政府が集めた公式文書には強制連行を示す証拠がなく、談話発表直前に韓国政府の要請で行った韓国人元慰安婦16人からの聞き取り調査だけで「強制連行」を認めたことが明らかになった。
談話に基づく慰安婦「強制連行」説は破綻した。
産経は、河野談話が「韓国を満足させるための政治決着の産物だったことも明瞭になった」として河野氏に国会での説明を求めた。
朝日はなお、「全体として強制と呼ぶべき実態があったのは明らか」と河野談話を擁護した。強制連行を示す資料が見つからなくても、「広義の強制性」はあったとする主張だ。
読売は「近年のいわゆる従軍慰安婦問題なども、とかくバランスを欠いた形で論じられることが多い」「日本の場合、官憲が『強制連行』したことを示す資料はない」と指摘し、朝日や毎日と距離を置くようになった。
読売は、元慰安婦への償い金支給事業を行ったアジア女性基金に関する17年2月6日付で「日本政府の一連の対応も、『不見識』としかいいようがないものだった。代表的なものは、一九九三年八月、宮沢政権下の河野洋平官房長官談話だろう」と明確に河野談話を批判した。
その後、河野談話を擁護する朝日・毎日と、談話見直しを求める読売・産経の主張がしばしば対立した。
■「偽りの見解」是正要求
昨夏、慰安婦問題での日本の対応を不満とする李明博・韓国大統領の竹島不法上陸などを機に、日韓関係が急速に冷え込んだ。
朝日は、河野談話の見直しを求める一部政治家を批判し、野田佳彦首相に河野談話踏襲を改めて内外に明言するよう求めた。
これに対し、読売は「河野談話という自民党政権時代の『負の遺産』」の見直し、産経は河野談話の破棄を求めた。
今年7月末、米カリフォルニア州グレンデール市で、韓国系住民の反日運動により慰安婦の少女像が設置された。
毎日は「日本政府が国際社会に、こうした河野談話やアジア女性基金などの説明を十分にしてこなかったという、外交発信の失敗も大きい」として、あくまで河野談話などの丁寧な説明を求めた。
これに対し、読売は「歪曲(わいきょく)された歴史が、全米に喧伝(けんでん)されようとしている」と憂慮し、「河野談話が誤解の火種となった」と談話の見直しを求めた。
産経は河野談話から20年の8月4日付で「偽りの見解」を正すよう求めた。
日経は河野談話をあまり取り上げていないが、今年8月16日付で「談話を見直せば、政府が一度決めたものを覆すとして、国際的な不信感を募らせることにならないだろうか」と見直し論を疑問視し朝日・毎日に近い立場を示した。
■誤報が独り歩き
慰安婦問題をめぐる誤解の原因は、日本の一部マスコミの誤報にもある。
戦時中、山口県労務報国会下関支部動員部長だったという吉田清治氏の「韓国・済州島で女性をトラックで強制連行した」との“証言”を、朝日などが平成3年から4年にかけ、勇気ある告白として報じた。
朝日は4年1月23日付夕刊の論説委員室コラム「窓」でも、「木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む」「吉田さんらが連行した女性は、少なくみても九百五十人はいた」などと詳しく書いた。
しかし、現代史家、秦郁彦氏の現地調査で、吉田氏の証言は嘘と判明した。
朝日の前主筆、若宮啓文氏は先月出した著書『新聞記者』で、「力ずくの『慰安婦狩り』を実際に行ったという日本の元軍人の話を信じて、確認のとれぬまま記事にするような勇み足もあった」と書いているが、朝日自身はまだ、新聞で訂正していない。
また、朝日と毎日は当初、慰安婦が「女子挺身(ていしん)隊」の名で集められたと繰り返し書いた。
「挺身隊」は昭和19(1944)年8月の女子挺身勤労令に基づき、軍需工場などに動員された女子勤労挺身隊のことだ。主に女衒(ぜげん)ら民間業者が軍隊用に募集した慰安婦とは異なる。
その後、慰安婦と挺身隊を混同した記述は、韓国の教科書や日本の教師用指導書などで独り歩きした。
この誤報も、訂正されていない。
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