開かれた、海の恵み ―日本外交の新たな5原則―
source : 2013.01.18 首相官邸 (ボタンクリックで引用記事が開閉)
(注)このスピーチは、18日にジャカルタで行う予定であったが、安倍総理がアルジェリアでの邦人拘束事案について直接指揮をとるため、予定を早めて帰国することとなったことにより、行われなかったもの。
I 国益における万古不易
ご列席のみなさま、とくに、インドネシアを代表するシンクタンク、CSISのみなさま、本日はすばらしい機会をいただき、ありがとうございます。
本年で、わが国とASEANの関係は、40周年を迎えます。節目に当たり、わたくしは、日本外交の来し方をふりかえるとともに、行く末について、ある決意を述べたいと思ってこの地へまいりました。
日本の国益とは、万古不易・未来永劫、アジアの海を徹底してオープンなものとし、自由で、平和なものとするところにあります。法の支配が貫徹する、世界・人類の公共財として、保ち続けるところにあります。
わが日本は、まさしくこの目的を達するため、20世紀の後半から今日まで、一貫して2つのことに力をそそいでまいりました。それは、海に囲まれ、海によって生き、海の安全を自らの安全と考える、日本という国の地理的必然でありました。時代が移ろうとも、変わりようはないのであります。
2つのうち1つは、米国との同盟です。世界最大の海洋勢力であり、経済大国である米国と、アジア最大の海洋民主主義であって、自由資本主義国として米国に次ぐ経済を擁(よう)する日本とは、パートナーをなすのが理の当然であります。
いま米国自身が、インド洋から太平洋へかけ2つの海が交わるところ、まさしく、われわれがいま立つこの場所へ重心を移しつつあるとき、日米同盟は、かつてにも増して、重要な意義を帯びてまいります。
わたくしは、2つの大洋を、おだやかなる結合として、世の人すべてに、幸いをもたらす場と成すために、いまこそ日米同盟にいっそうの力と、役割を与えなくてはならない、そのためわが国として、これまで以上の努力と、新たな工夫、創意をそそがねばならないと考えています。
これからは日米同盟に、安全と、繁栄をともに担保する、2つの海にまたがるネットワークとしての広がりを与えなくてはなりません。米国がもつ同盟・パートナー諸国と日本との結び合いは、わが国にとって、かつてない大切さを帯びることになります。
海に安全と繁栄を頼るわが国の外交を貫いたいまひとつのモチーフとは、海洋アジアとのつながりを強くすることでした。
このためわたくし自身かつて、インドと、あるいは豪州と日本の結びつきを、広く、深いものとするよう努めました。また、発足以来8年を迎える東アジアサミット(EAS)が、こころざしを同じくし、利益を共有する諸国の協議体として、2つの大洋をつないで成長しつつあることくらい、わたくしにとっての喜びはありません。
しかしながらなんといっても、ASEANとの関係こそは、かかる意味合いにおけるわが国外交にとって、最も重要な基軸であったのです。
そう考えればこそ、政治や通商・投資の関係において、平和の構築から、域内連結性の向上まで、この地域において、わが先人たちは、いちどたりとも努力を惜しみませんでした。
無数の日本人がそのため働き、資本や、技術、経験が、日本からこの地に向かったのであります。
わたくしどもが世界に打ち出し、大切に思ってきた「人間の安全保障」という考え方にとって、大事な実践の場となったのもやはりこの地でありました。
2015年、みなさんがたASEANは、名実とも共同体として、ひとつの脱皮を遂げます。こころからのお祝いを申し上げます。
インドネシアがその最も顕著な実例でありますが、法の支配と人権を重んじ、民主主義を根づかせる動きは、ASEAN諸国を貫く基調となりました。いまや、ミャンマーも、みなさんを追いかけ始めています。このことを、わたくしは、うれしい驚きをもって眺めてまいりました。
万人のみるところ、インドネシアにはいま、世界有数の、幅と、奥行きをもった中間層が生まれはじめています。ASEANは、域内の連結を強めながら、互いの開きを埋めるとともに、それぞれの国に、豊かな中産階級を育てていくに違いありません。
そのとき世界は、ある見事な達成を、すなわち繁栄と、体制の進化をふたつながら成し遂げた、美しい達成を、見ることになります。
そしてわたくしは、ASEANがかかる意味において人類史の範となることを信じるがゆえに、日本外交の地平をいかに拡大していくか、新しい決意を、この地で述べたいと思いました。
II 未来をつくる5原則とは
それは、次の5つを原則とするものです。
第一に、2つの海が結び合うこの地において、思想、表現、言論の自由――人類が獲得した普遍的価値は、十全に幸(さき)わわねばなりません。
第二に、わたくしたちにとって最も大切なコモンズである海は、力によってでなく、法と、ルールの支配するところでなくてはなりません。
わたくしは、いま、これらを進めるうえで、アジアと太平洋に重心を移しつつある米国を、大いに歓迎したいと思います。
第三に、日本外交は、自由でオープンな、互いに結び合った経済を求めなければなりません。交易と投資、ひとや、ものの流れにおいて、わたくしたちの経済はよりよくつながり合うことによって、ネットワークの力を獲得していく必要があります。
メコンにおける南部経済回廊の建設など、アジアにおける連結性を高めんとして日本が続けてきた努力と貢献は、いまや、そのみのりを得る時期を迎えています。
まことに海のアジアとは、古来文物の交わる場所でありました。みなさんがたインドネシアがそのよい例でありますように、宗教や文化のあいだに、対立ではなく共存をもたらしたのが、海洋アジアの、すずやかにも開かれた性質であります。それは、多くの日本人を魅了しつづけるのです。だからこそわが国には、例えば人類の至宝、アンコール・ワットの修復に、孜々(しし)としておもむく専門家たちがいるのです。
それゆえ第四に、わたくしは、日本とみなさんのあいだに、文化のつながりがいっそうの充実をみるよう努めてまいります。
そして第五が、未来をになう世代の交流を促すことです。これについては、のちほど申し上げます。
いまから36年前、当時の福田赳夫総理は、ASEANに3つの約束をしました。日本は軍事大国にならない。ASEANと、「心と心の触れ合う」関係をつくる。そして日本とASEANは、対等なパートナーになるという、3つの原則です。
ご列席のみなさんは、わたくしの国が、この「福田ドクトリン」を忠実に信奉し、今日まできたことを誰よりもよくご存知です。
いまや、日本とASEANは、文字通り対等なパートナーとして、手を携えあって世界へ向かい、ともに善をなすときに至りました。
大きな海で世界中とつながる日本とASEANは、わたくしたちの世界が、自由で、オープンで、力でなく、法の統(す)べるところとなるよう、ともに働かなくてはならないと信じます。
ひととひとが自由に交わりあうことによって、互いを敬う文化が根ざすよう、努めねばならないと信じます。
III 日本を強くする
みなさん日本には、世界に対して引き受けるべき崇高な責任があり、なすべき幾多の課題があります。しかしおのれの経済が弱まるなかでは、どんな意欲も実現させることができません。
わたくしにとって最も大切な課題とは、日本経済をもういちど、力強い成長の道に乗せることであります。
伸びゆくASEANと結びつき、海という海に向け、自らをもっと開放することは、日本にとって選択の対象となりません。必要にして、欠かすことのできない事業だからであります。
日本には、資本があります。技術がありますし、社会の高齢化という点で歴史の先端を行く国ならではの、経験も増えてきました。不況が続き、一昨年は、千年に一度の災害に見舞われ、多くの犠牲を生んだにもかかわらず、社会の安定は、まだびくともしていません。
いままで、育てることを怠ってきた人的資源もあります。日本女性のことですが、わたくしはこれらのポテンシャルを一気に開放し、日本を活力に満ちた、未来を信じる人々の住む国にしたいと考えています。
いま日本人に必要なものがひとつあるとしたら、それは「自信」です。夏に咲いて、太陽を追いかけるひまわりのような、「向日性」です。かつて日本に、あふれるほどあったものが、いま、欠乏しています。
だからといって、わたくしはなにひとつ悲観しようと思いません。わたくしたち日本人が「自信欠乏症」にかかっているとすれば、それをなおしてくれる人があり、歌があるからです。ここからわたくしの話は、みなさんへの感謝に焦点を移します。
IV インドネシアにTerima kasih
すでにみなさん、インドネシアの人々は、日本人にたくさんの自信と、勇気を与えてくれました。そのおひとりが、この場にいないのはとても残念に思えます。
インドネシアと日本が結んだEPAは、多くの看護師を日本へ送りました。日本の資格を取ろうとする人も少なくありません。
それには、難しい試験を突破する必要があります。
2011年の資格試験は、地震が起きた直後に、結果発表の日を迎えました。難関を突破したおひとりが、兵庫県の病院で働くインドネシア人の女性、スワルティさんでした。
合格発表を受け、病院でスワルティさんが記者会見をしていたときです。喜びの顔が突然くもり、彼女はこう言い始めました。
「福島県で、宮城県でも、津波がきました」
声を詰まらせたスワルティさんは、病院の医師に向き直り、涙で声を震わせながら言ったのです。
「私もできれば行かせてください、先生。みなを手伝いたい。お願いします」。
スワルティさんは、被災地の、避難所へ入りました。家屋の半分が流され、500人以上の人が命を落とした町の避難所です。そこで、彼女は不思議な能力を発揮します。
ショックのせいで泣いてばかりの少女が、スワルティさんと話し始めると笑顔になりました。年老いた女性が、まるで孫に接するように、彼女にほほえみをみせました。不自由な避難所で、そんな光景が生まれました。
「大丈夫です。これからみなさん、ピカピカの未来がくるので、一緒にがんばりましょう」
避難所を去るときの、それが、スワルティさんのあいさつでした。
Wahai sakura,(ワハイ、サクラ)
mekarlah.(メカルラー)
mekarlah dengan penuh bangga,
(メカルラー、ドゥンガン、プヌー、バンガ)
di seluruh pelosok Jepang.
(ディ、スルルー、プロソック、ジパン)
Mari Jepang,(マリ、ジパン)
bangkitlah.(バンキットラー)
bangkitlah, dengan percaya diri,(バンキットラー、ドゥンガン、ペルチャヤ、ディリ)
di dunia ini.(ディ、ドゥニア、イニ)
わたしの下手なインドネシア語は、大目に見てください。この歌は、歌詞がもともと日本語なのです。
「桜よ」という、歌の一節です。「桜よ、咲き誇れ、日本の真ん中で咲き誇れ」「日本よ、咲き誇れ、世界の真ん中で咲き誇れ」と、歌ってくれています。
ジャカルタに、大学生たちによる、日本語でミュージカルを見せる「エン塾」という劇団があります。
2011年3月11日の悲劇を知り、心をいためたエン塾の学生たちは、日本よがんばれ、桜のように、世界で咲き誇れという歌を、美しい曲に乗せてくれました。
そして5月1日、30を超す大学から500人の学生がつどい、すばらしい合唱をしてくれたのです。
わたくしは彼らの合唱を見、声を聞きました。そして、深く、感動しました。いまから1分20秒だけお見せします。どうかご一緒にご覧ください。
ご列席のみなさま、この歌を作曲した青年がいます。JCC、ジャカルタ・コミュニケーション・クラブで、広報を担当している、ファドリ君です。
そして、JCCを創立し、エン塾の指導に努めてこられた先生、かいきり・すがこ(甲斐切清子)さんです。
ファドリ君、ありがとう。やさしいインドネシアのみなさん。みなさんと日本人は、みなさんが好きだという日本の歌、五輪真弓の歌がいう、「心の友」です。
そのことをスワルティさんや、ファドリ君たちが改めて教えてくれました。Terima kasih(テリマ・カシ)。
V JENESYS 2.0を始める
わたくしは、ファドリ君たち、20年、30年先のインドネシアを担う世代の人々、ASEANの将来を引っ張る若者たちに、日本を訪れてほしいと思います。
エン塾のすばらしい学生たちにも、日本のいろいろなところへ見に来てもらいたい。そう思って、このたび、ASEANや、アジアの若者をお招きするプログラムを拡充し、強化することにしました。
ちょうど、6年前のことになります。わたくしは、日本の総理として、EAS参加国を中心に、ひろくアジア・太平洋各国から高校生や大学生、若者を日本へ呼ぶ事業を始めました。
ジェネシスという名のもと、当時のレートで約3億ドルの予算を当て始まったプログラムは、いままでに、ASEAN各国から1万4000人を超す若者を日本へ受け入れてきました。
これをもう一度、「ジェネシス2.0」と名づけ、熱意と感謝の気持ちを込めて、始めることにいたしました。
ジェネシス2.0は、3万人の若者を、ASEANを含むアジア諸国から日本に招待します。どうです、ファドリ君、それから、かいきり先生、どしどし宣伝してくださいませんでしょうか。
VI アジアの海よ平安なれ
40年前、日本がASEANとパートナーになったころ、インドネシアの経済がこれほど伸びると想像した人が果たしていたでしょうか。
名目GDPの変化を比べてみますと、この40年の間に、インドネシア経済は、10階建くらいの、どこにでもあるビル程度の高さだったものが、スメル山の高さにまで伸びたことがわかります。
古来、インドで生まれた仏教を大切にしてきた日本人にとって、スメル山とは、須弥山(しゅみせん)と称し、世界の中心にそびえる山を意味しました。
インドネシア40年の達成を、このようにたとえてみることは、したがいまして、われわれに二重の意味で、深い感慨を催さずにいないのであります。
わたくしはまた、アチェに津波が襲って以来の、みなさまの達成を、人類史が特筆すべきチャプターだと考えます。それは、復興と、和解、ひいては国全体の穏やかな民主化を、ともに達成した偉大な足跡でした。
わたくしは、そんなみなさまインドネシアの隣人であることを、誇りに思います。
初めにわたくしは、海に囲まれ、海に生き、海の安全を、おのれの安全とする国が日本であり、インドネシアであって、ASEANの、多くの国々であると申し上げました。
それはまた、アジア・太平洋からインド洋に広がる一帯に住まう、われわれすべてにとって共通の条件であります。
そんなわたくしたちが一層の安寧(あんねい)と、繁栄を謳歌できるよう、わたくしはきょう、日本外交がよって立つべき5つの原則を申し上げました。
わたくしたちにとって大切な、価値の信奉。コモンズ、なかんずく海を、力の支配する場としないこと。経済におけるネットワークの追求。そして文化の交わりと、未来世代の育成、交流を追い求めることです。
アジアの海よ、平安なれと祈ります。そのため、経済において強く、意思において強固で、国柄においてどこまでも開かれた日本をつくるべく、わたくしは身命を賭したいと思っています。
インドネシアの人々に、わたくしは、自分の決意を語ることができ、ほんとうによかったと思います。ご清聴くださり、ありがとうございました。
The Bounty of the Open Seas: Five New Principles for Japanese Diplomacy
source : 2013.01.18 Prime Minister of Japan and His Cabinet
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Prime Minister Shinzo Abe's policy speech, which was supposed to be delivered during his stay in Jakarta, but actually wasn't because of some unavoidable changes in his itinerary.
I. Eternal Truths in Japan's National Interest
Ladies and gentlemen, let me begin by offering my sincere thanks to everyone here - in particular the Centre for Strategic and International Studies, Jakarta, one of Indonesia's leading think-tanks - for this wonderful opportunity to address you today.
This year marks the fortieth year of relations between Japan and ASEAN, the Association of Southeast Asian Nations. On this milestone occasion, I have come here today to look back on the history of Japan's diplomacy in the region and to express Japan's determination regarding its future.
Japan's national interest lies eternally in keeping Asia's seas unequivocally open, free, and peaceful - in maintaining them as the commons for all the people of the world, where the rule of law is fully realized.
To achieve these goals, from the second half of the twentieth century through the present day Japan has consistently devoted its energy in two objectives. In light of our geographic circumstances, the two objectives are natural and fundamental imperatives for Japan, a nation surrounded by ocean and deriving its sustenance from those oceans - a nation that views the safety of the seas as its own safety. Though times may change, these objectives remain immutable.
One of these areas where we have concentrated our diplomatic effort is to ally with the United States. America is the world's greatest naval power and preeminent economic superpower; Japan is Asia's largest maritime democracy and a liberal capitalist state second only to the United States. It stands to reason that our two nations should be partners.
Today the United States is shifting its focus to the confluence of the two oceans, the Indian and the Pacific - this very region where we stand today. At such a time, the Japan-US alliance takes on a more vital significance than ever before.
I believe that to ensure that these two great oceans can meet in calm conjunction, bringing benefit to all the people of the world, now is the time for us to dedicate even more energy to the bilateral alliance, giving it still greater roles to play. Toward this end, Japan must make greater efforts than before, bringing new ideas and creativity to bear.
From now on the Japan-US alliance must effect a network, broad enough to ensure safety and prosperity encompassing the two oceans. The ties between Japan and America's other allies and partners will become more important than ever before for Japan.
The second of the two vital objectives that have kept shaping the diplomacy of Japan, which depends on the seas for its safety and prosperity, is this: strengthening our ties with maritime Asia.
I myself have worked toward this goal in the past, seeking to make Japan's relationships with India and Australia broader and deeper. In the eight years since the launch of the East Asia Summit, we have seen this process become a consultative framework whose members share the same aspirations and pursue common benefits. For me there is no greater joy than seeing the EAS grow and bind the two oceans more tightly together.
It must be stated, though, that Japan's relationship that goes side by side with ASEAN is a supremely vital linchpin in terms of its importance to our diplomatic strategy.
It is precisely because of this conviction that our forebears spared no effort in the areas of political, trade, and investment ties as they pursued goals from the peace building to the improvement of regional connectivity.
Countless Japanese worked to achieve these goals, and steady flows of capital, technology, and experience made their way from Japan to this region.
When Japan came out with the concept of "human security" and nurtured it carefully over the years, once again, it was this region that provided a key ground to implement this concept.
In the year 2015 the members of ASEAN will further advance, in both name and reality, toward becoming a true community. I offer you my heartfelt congratulations on this.
The development of the ASEAN members has been marked by respect for the rule of law and human rights, along with steady moves toward deeply rooted democracy. Indonesia is the most remarkable example of this. Today Myanmar, too, is beginning to follow in your footsteps. I have been watching these events unfold with a sense of surprise and delight.
It is now plain for all to see that Indonesia is becoming home to an economic middle class of breadth and depth, one of the outstanding phenomena in the world. As the members of ASEAN strengthen their intraregional connectivity, they will be sure to close the gaps that open up among them, helping give rise to affluent middle-class populations.
When this time comes, the entire world will witness how the region has achieved something remarkable. It will be a beautiful achievement of twin goals: prosperity and progress in social and governmental systems at once.
For my part, I believe that ASEAN has significance as a model for all of humanity. It is for this reason that I decided to expand the horizons of Japanese diplomacy here, expressing a new determination in this place today.
II. Five Principles to Build the Future
This determination is founded on the following five principles.
The first is protecting freedom of thought, expression, and speech in this region where two oceans meet. These are universal values that humanity has gained and they must be allowed to flower to the fullest.
The second is ensuring that the seas, which are the most vital commons to us all, are governed by laws and rules, not by might.
In connection with these two goals, I wholeheartedly welcome the American rebalancing to the Asia-Pacific region.
The third principle is pursuing free, open, interconnected economies as part of Japan's diplomacy. We must secure the power of networking by bringing our national economies closer together through flows of trade and investment, people, and goods.
The efforts and contributions Japan has made to enhance connectivity in Asia, such as through construction of the Southern Economic Corridor in the Mekong region, are now beginning to bear real fruit for the region.
Maritime Asia has since ancient times been a place where civilizations blend with one another. Indonesia is a prime example of Maritime Asia's calm, open nature, which brings about not conflict among different religions and culture, but coexistence. This is something that continues to impress a great many Japanese to this day. It is also what inspires specialists from Japan to dedicate themselves diligently to tasks like the restoration of Angkor Wat, a priceless treasure for all humankind.
The fourth principle, in connection with this, is bringing about ever more fruitful intercultural ties among the peoples of Japan and this region, something that I will continue to work for.
The fifth and final principle is promoting exchange among the younger generations who will carry our nations into the future. I will return to this later in my remarks.
Thirty-six years ago, Takeo Fukuda, then prime minister of Japan, made three promises to the members of ASEAN. Japan would never become a military power. Japan would forge ties with ASEAN based on "heart to heart" understanding. And Japan would be an equal partner of ASEAN and its member countries.
Ladies and gentlemen, you know better than anyone how faithfully Japan has adhered to this Fukuda Doctrine right up to the present day.
Now ASEAN and Japan stand indeed as equal partners. The time has come for us to go side by side out into the world, working together to achieve positive outcomes.
Both Japan and ASEAN are connected with the rest of the world by the broad oceans. I believe we must work together side by side to make our world one of freedom and openness, ruled not by might but by law.
I believe also that we must strive to lay the foundations for a culture of mutual respect by promoting the free exchange of people with one another.
III. Toward a Stronger Japan
Ladies and gentlemen, Japan bears a sublime responsibility to the world and faces numerous challenges to address. But in the face of our stagnating economy, we cannot achieve everything that we desire to.
Which is the reason why, the most important task for me is to put the economy of Japan once more on a robust growth track.
To bind ourselves to a growing ASEAN and to open ourselves up to all the world's oceans are no longer things that Japan can choose to do. They are rather necessities - tasks that we absolutely must perform.
Japan has capital resources. We have technologies, and - as a nation on the leading edge of history when it comes to the aging of our population - we have amassed a wealth of experience. Our economic woes have continued, and two years ago we suffered a once-in-a-millennium natural disaster that took thousands of lives, but our society remains as rock-solid as ever.
We do have a human resource that we have failed to develop to its fullest potential. Here I speak of Japanese women. My hope is that we can unleash the full potential of those vast resources to make Japan a nation brimming with energy, where people can live with confident belief in the future.
If the Japanese need one thing now, that thing is confidence - the ability to turn our faces to the sun, like the sunflower does when it blooms at the height of summer. Japan once had tremendous confidence, but there is a shortage of it today.
I must hasten to add that this does not mean I am pessimistic about the situation. Even if today's Japanese do suffer from a "Lack of Confidence," there are people who can cure this for us and a song that can help. And here I would like to shift the focus of my speech to my gratitude to you all.
IV. "Terima Kasih" to Indonesia
In fact, the people of Indonesia have already given us Japanese much confidence and courage. There is one person in particular who I wish could be here with us today; unfortunately, she could not be.
The Economic Partnership Agreement that Japan signed with Indonesia saw many nurses sent to our hospitals from yours. Many Indonesians studied to pass Japan's nursing license examination - a difficult test that must be passed if they are to work in our country.
The results of the 2011 licensing exam were announced just after the March 11 earthquake. One of the successful test-takers was Ms Suwarti, a young Indonesian lady who was working at a hospital in Hyogo Prefecture.
After learning that she had passed, she gave a press conference at the hospital. While she spoke with the reporters, her glad face suddenly darkened, and she said:
"In Fukushima, in Miyagi ... There was a tsunami."
Her voice caught, and she then turned to face the doctor who worked with her at the hospital. In a voice quavering with tears she asked him:
"Please let me go there, Doctor. I want to help those people. Please."
Ms Suwarti went to the disaster-stricken zone and worked at an evacuation center. This was a community where half of the homes had been taken by the waves and more than 500 people had lost their lives. There Ms Suwarti showed her special abilities.
A young girl who could do nothing but weep because of the shock of the disaster began speaking with the Indonesian nurse and suddenly began grinning. An elderly woman smiled as she looked at Ms Suwarti, just as a loving grandmother gazes at her granddaughter. In this cramped, uncomfortable evacuation center, scenes like this played out again and again.
"It'll be all right. A shining future awaits us all. Let's pull together and be ready for it!"
These were Ms Suwarti's words to the residents when it was time for her to say goodbye.
Wahai sakura,
mekarlah.
mekarlah dengan penuh bangga,
di seluruh pelosok Jepang.
Mari Jepang,
bangkitlah.
bangkitlah, dengan percaya diri,
di dunia ini.
I must ask that you forgive me for my terrible Indonesian.
These words were in fact the Indonesian translation from the original Japanese lyrics to a song called "Sakura Yo,"or "Wahai sakura (O, Cherry Tree)." "Bloom proudly, o cherry tree, bloom in the heart of Japan," goes the song. "Bloom proudly, o Japan, bloom in the heart of the world."
In Jakarta there is a theatre troupe called the Teater En Juku. The university students in this troupe perform musicals in Japanese.
When they learned of the tragedy of March 11, 2011 with sadness, the Teater En Juku players created this Japanese song - Persevere, Japan, bloom proudly in the heart of the world like the cherry tree - set to beautiful music.
And on May 1 that year, 500 students from more than 30 universities came together to sing this song in a magnificent chorus.
On the internet, I saw them sing this song. I heard their voices. And I was moved deeply. I will show you their performance now; not in its entirety, I am afraid, but for only a minute and 20 seconds. Please watch it with me.
Ladies and gentlemen, the young man who composed this song is here with us today: Mr Nurfadri Pratama, who handles public relations for the JCC, the Jakarta Communication Club.
Also with us today is Ms Sugako Kaikiri, who founded the JCC and who has coached the members of the Teater En Juku.
Thank you, Fadri. Kind people of Indonesia, all of you and we Japanese are truly kokoro no tomo, "Friends of the Heart," just like the title of your favourite song by the Japanese songwriter Mayumi Itsuwa.
This is a lesson I have learned anew thanks to Ms Suwarti and Mr Nurfadri. To them both, and to you all, I say terimah kasih (thank you so much).
V. The Launch of JENESYS 2.0
I want Mr Nurfadri and his friends - the leaders of Indonesia 20 or 30 years from now, the young generation that will drive the future of ASEAN - to visit Japan.
I want the wonderful students in the Teater En Juku to come and see all sorts of places in Japan. This is the thinking that has inspired me to expand and enhance Japan's program inviting young people from ASEAN and other Asian nations to our country.
Six years ago, as prime minister of Japan, I launched a project to bring high school and university students and other young people to Japan from throughout the Asia-Pacific region, particularly from East Asia Summit participant states.
This program was titled JENESYS - the Japan-East Asia Network of Exchange for Students and Youths. With a budget equivalent to 300 million dollars, JENESYS has to date brought more than 14,000 young people to Japan from ASEAN alone.
Now we have decided to re-launch this program as JENESYS 2.0, infusing it with fresh passion and the spirit of gratitude.
In JENESYS 2.0, we will bring 30,000 young people from ASEAN and other Asian nations to Japan. What do you say, Fadri and Kaikiri-sensei, can I ask you to spread the word about this program?
VI. Tranquillity for the Asian Seas
When Japan forged its partnership with ASEAN 40 years ago, I doubt that anyone foresaw just how much the Indonesian economy would grow in the ensuing decades.
Let us look at the change in Indonesia's nominal GDP. At the beginning of this 40-year period, we could describe the Indonesian economy as the equivalent of a 10-story building - the sort of structure you can find in any city. Today it is as tall as Mount Semeru!
In Japan, a nation that has long honored the teachings of Buddhism, a faith born in India, we refer to the Mount Semeru as Shumisen, a peak held to stand at the center of the world.
This metaphor for Indonesia's achievement over the last 40 years therefore holds a double meaning for us, and we cannot help but respond with deep emotion to what you have done.
I also believe that what you all have accomplished since the massive tsunami hit Aceh in 2004 will go down as an especially remarkable chapter in human history. It is truly a great accomplishment to have rebuilt from the disaster, forged peace in the region, and smoothly brought democracy to the nation as a whole all at the same time.
I feel great pride that Japan counts itself among the neighbors of a nation like Indonesia.
At the beginning of my remarks I noted that Japan is a nation that is surrounded by the ocean, that derives its sustenance from the ocean, and that views the safety of the seas as its own safety. The same holds true for Indonesia and for many other members of ASEAN.
These are, indeed, conditions shared in common by all of us who live in the region stretching from the Asia-Pacific to the Indian Ocean.
Today I have presented the five principles that must underpin Japanese diplomacy so that all of us can celebrate still greater peace and prosperity in the future.
We must have faith in the values that we hold dear. We must not allow the international commons, in particular the oceans, to become places ruled by might. We must pursue the creation of more networked economies. And we must enhance our cultural exchange, our fostering of future generations, and the personal exchange among them.
I pray for tranquillity in the seas of Asia. To help ensure this, I dedicate myself body and soul to creating a Japan that is economically strong, unshakeable in its will, and as open as can be to the outside world.
People of Indonesia, I am very pleased that I have been able to share my determination with you today. I thank you most sincerely for your kind attention.
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