source : 2014.04.01 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
まともな裏付けもないまま一方的に日本を糾弾したクマラスワミ報告書と、それに対する日本政府の事なかれ主義的な対応は、歴史問題に関する戦後日本外交のあり方を象徴している。
1996年3月、国連人権委員会でのクマラスワミの演説を現場で聞いた元在ジュネーブ国際機関代表部公使、美根慶樹はこう振り返る。
「ものすごい力があり、彼女が舌(ぜっ)鋒(ぽう)鋭く『ワーッ』と説明すると、聴衆はスタンディングオベーション(立ち上がっての拍手喝采)だ。日本政府には答弁権を行使して反論することは制度上認められていたが、そうしたら大変なことになっていた」
クマラスワミは「かわいそうな元慰安婦のおばあさんたちのため一生懸命働いている」(外交筋)と評価されていた。個別の事実関係の誤りを指摘しても「日本が悪者になるばかりで逆効果だった」(同)というのだ。クマラスワミと面識のある当時の日本政府関係者もこう語る。
「慰安婦問題だけでなく歴史全般がそうだが、日本国内のまともな議論は英語になっていない。英語に訳されているのは左翼系メディアや学者の文章だけ。だから国連人権委にはもともと一定の方向性がある。報告書も相場からいえば『まあこんなもの』だった」
とはいえ、日本が歴史問題で相手と事実関係を争わず、過去に積み重ねてきた謝罪や補償の実績ばかり強調してきた結果、今どういう事態が起きているか。
歴史を「対日外交カード」として振りかざす中国や韓国は、日本が反論しないのをいいことに、過去を誇張して世界に広めようとしている。
「(南京事件では旧日本軍が)30万人以上の兵士や民間人を殺害する凶悪な罪を犯した」
中国の国家主席、習近平は3月28日、ベルリン市内での講演で「30万人」という荒唐無稽な数字を挙げてこう日本を批判した。
日本政府筋は「30万人という数に根拠は全くない」と不快感を示したが、これまで中国にこの極端な誇張を改めるようきちんと求めてこなかった。それどころか、前面に「300000(30万)」という数字が掲げられた南京大虐殺記念館を、元首相の鳩山由紀夫や村山富市、元自民党幹事長の古賀誠ら政界の重鎮が訪れては謝罪を繰り返している。
戦後の日本は相手の宣伝工作に有効な反撃を加えるどころか、自ら進んでそのわなにはまってきた。その象徴が強制連行を示す文書・資料も日本側証言もないまま「強制性」を認定した河野談話だ。世界に日本政府が公式に強制連行を認めたと誤解され、既成事実化してしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
偽りの友好にまどろんできた日本が腕をこまぬいている間に、中国や韓国は着実に歴史問題で地歩を固めていった。今後、日本は事なかれ主義と決別し、砲弾ではなく情報と言葉を駆使して戦う「歴史戦」に立ち向かわなければならない。
「奴隷狩り」というフィクションから始まった誤解の連鎖、日本攻撃の材料に
source : 2014.04.01 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
慰安婦問題が今日のような国際問題となった発端は、フィクションをまるで事実であるかのように描き、「私は奴隷狩りを行った」と書いた昭和58年の吉田清治の著書『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』にある。吉田の証言は1996年に国連人権委員会に提出されたクマラスワミ報告書でも引用されている。
この本は後に現代史家の秦郁彦による韓国・済州島での現地調査や地元紙の済州新聞の報道などで全くの虚偽だったことが判明する。だが、それまでに朝日新聞など多くのメディアが事実だとして取り上げ、「慰安婦強制連行説」や「性奴隷説」、全く関係のない女子挺身(ていしん)隊との混同が広まっていく。
「特に昭和17年以降『女子挺身隊』の名のもとに、日韓併合で無理やり日本人扱いされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた」
これは、62年8月14日付の読売新聞夕刊芸能欄の記事「従軍慰安婦の実態伝える」からの引用である。
中でも朝日新聞は慰安婦問題に熱心で、平成3年8月11日付朝刊の記事「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」で、朝鮮人元慰安婦の証言を“スクープ”。翌4年1月11日付朝刊では1面トップで「慰安所 軍関与示す資料」と大々的に報じ、問題は日韓間で政治問題化した。
この記事は、慰安婦について「約8割が朝鮮人女性」「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行」「人数は8万とも20万人とも」などと、根拠不明で現在は明確に否定できる記述が多いが、吉田証言が背景にあったとみられる。
ちなみに、秦の推計では慰安婦の総数は2万~2万数千人で、そのうち日本人が4割、朝鮮人は2割程度である。
吉田という「職業的詐話師」(秦)にメディアはすっかりだまされ、その報道を受けて韓国側が激高し、日本政府も慌ててふためき対応するという構図だ。
官房長官だった加藤紘一がまず同年1月13日に「従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、おわびと反省の気持ちを申し上げたい」との官房長官談話を出した。
ただ、加藤談話では旧日本軍の関与は認めたものの「強制性」には踏み込まなかったため韓国側が納得せず、後任の官房長官、河野洋平が5年8月に慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」を出すに至る。
今回、産経新聞が入手したクマラスワミ報告書への政府の反論文書は、河野談話に対する拡大解釈を戒め、慰安婦問題の真実を国際社会に発信する貴重な機会になる可能性があった。
だが、それを政府が自ら放棄したため、報告書の内容は「事実」となり、日本をおとしめようとする勢力によって日本攻撃の材料として利用されている。
クマラスワミ報告書は、女子挺身隊と慰安婦を混同しているほか、「多くの慰安婦が自殺攻撃などの戦闘に参加させられた」「慰安婦の総数は20万人」など、根拠不明で事実に反する記述がいくつもある。
7年のクマラスワミ来日時に面談した秦は、クマラスワミに行った説明とは正反対の記述が報告書にあったなどとして、著書で「学生リポートなら、落第点のお粗末な作品」と酷評している。
クマラスワミ報告書について、8年2月16日の参院予算委員会で、首相の橋本龍太郎は次のように述べ、反論方針を示していた。
「十分な事実確認のないままに、限定された資料に基づき書かれた部分もあるという認識を有している」
ところが、水面下での根回しの段階で中国や韓国、北朝鮮などが反論の内容に強く反発した。呼応するように日本の弁護士やNGO(非政府組織)も「クマラスワミに対する個人攻撃だ」などと非難し始めた。
橋本政権は自民、社会、さきがけ3党による連立政権であり、慰安婦強制連行を自明のことと捉える社会党が与党だったこともあり、反論文書は撤回された。
当時の日本政府関係者は、「日本が事実関係を争えば、慰安婦問題がさらにクローズアップされることになりかねなかった。一方的に今後の日本への対応を決めるような評価になるのは好ましくないから、『報告がなされた』という事実だけを記録に残すようにしようとした」と振り返る。
日本側の働きかけもあり、クマラスワミ報告書は人権委で「留意」される程度の扱いに終わった。だが日本が反論をせず、国連で事実上“認定”された報告書によって、「慰安婦は性奴隷」などといった事実誤認が、さまざまな場面で独り歩きしている。
秦によると、クマラスワミが特別報告官としてまとめ、1998年4月に公表された「女性に対する暴力」の年次報告書は「400人の若い朝鮮人女性が5千人の日本兵に性奴隷として奉仕」とする元慰安婦の証言話が盛り込まれ、採択された。日本は特に反論することもなく、年次報告書を「歓迎」したという。
続く同年8月に国連人権委小委員会で採択されたゲイ・マクドガル特別報告官の報告書は、クマラスワミ報告書を下敷きとしながら表現をさらにエスカレートさせた。慰安所を「強姦(ごうかん)所」と書き、「人道に対する罪および戦争犯罪は公訴時効の対象ではない」と訴えた内容となっている。
2007年7月に米下院が採択した慰安婦非難決議についても、東京基督教大教授の西岡力は「『慰安婦は性奴隷である』というクマラスワミ報告書の基本的立場を継承している」と指摘し、こう語る。
「反論しなければ誤解は広がるが、日本は英語の世界で反論していない。政府はなぜ反論文書が撤回されたのかを検証し、クマラスワミ報告書をどう考えているのか表明すべきだ」
日本は情報戦で、もうこれ以上負けるわけにはいかない。
シナリオの目的は韓国との妥協 「慰安婦」蒸し返され続け崩壊
source : 2014.04.02 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
慰安婦募集の強制性を認めた平成5年8月の河野談話の発表に向け、同年2月に外務省で作成された内部文書「従軍慰安婦問題(今後のシナリオ)」は、真相究明は二の次だったことを明確に示している。すでに同年7月の韓国での元慰安婦16人への聞き取り調査がずさん極まりない内容だったことは、産経新聞が昨年10月に報じた調査報告書の詳細で明らかになっているが、聞き取りはこの「シナリオ」に沿ったものだったわけだ。
「シナリオ」は、聞き取り調査についてこう記している。
「真相究明の結論および後続措置に関し、韓国側の協力が得られるめどが立った最終的段階で、必要最小限の形でいわば儀式として実施することを検討する」
一定の「結論」想定
つまり、外務省はあらかじめ一定の「結論」を想定し、事前に韓国側の了解を得た上で、その結論を正当化するために聞き取り調査を実施する考えだったことになる。「シナリオ」は韓国政府とのすり合わせのあり方についてはこう書く。
「真相究明についての日本政府の結論と引き換えに、韓国政府に何らかの措置の実施を受け入れさせるというパッケージ・ディール(一括取引)で本件解決を図る」
日本側が韓国側の意向に沿った結論を出す代わりに、韓国側には慰安婦問題の決着を何らかの形で表明させるという狙いだろう。
談話発表後、一時的には収まったものの、韓国は国内事情からこの問題を蒸し返し続けており、所期の目的は達成されていない。
もともと聞き取り調査に関しては、以前から多くの疑問点が指摘されていた。
調査は7月26日から30日までの5日間、ソウルの太平洋戦争犠牲者遺族会で行われたが、この団体は日本政府を相手に慰安婦賠償訴訟を起こしている当事者だった。
元慰安婦1人あたりの聴取時間はわずか2時間半から3時間。産経新聞が入手した調査報告書によると、およそ証拠能力の認められないものだった。A4判13枚で、「慰安婦にされた経緯」「慰安所での生活」「その他の状況」の3点が記されているが、16人中、生年月日が記載されているのは半数の8人だけ。そのうち別のインタビューでは異なる年月日を回答している例も複数ある。
大阪、下関、熊本など戦地ではなく、一般の娼(しょう)館はあってもそもそも慰安所がなかった地域で働いたとの不自然な証言もあった。
氏名に関しても「呂」と名字だけのものやカタカナだけのもの、「白粉」と不完全なものもあり、出身地についても大半の13人が不明・不詳となっていた。
定義まで広げて
こうした調査報告書のずさんさも、聞き取り調査自体が初めから「儀式」だったと思えば得心がいく。
「米国の図書館まで行ったが、女性たちを強制的に集めたことを客観的に裏付けるデータは見つからなかった」
河野談話作成当時の事務方トップである元官房副長官、石原信雄は今年2月20日の衆院予算委員会でこう明言した。第1次安倍内閣も19年に「政府発見の資料の中に強制連行を示すような記述はない」との答弁書を閣議決定している。
当時の宮沢喜一内閣は、国内外をいくら探しても「強制性」を認めるための物理的な証拠は出てこないので、自分は強制連行されたと述べる元慰安婦の聞き取り調査をもって証拠とすることにしたのである。
そのため5年3月には、強制の定義を「単に物理的に強制を加えることのみならず、脅かし、畏怖させて本人の意思に反してある種の行為をさせた場合を含む」(当時の内閣外政審議室長、谷野作太郎)と広げることまでしている。
そして当時の官房長官の河野洋平も石原もこれまで、この聞き取り調査が河野談話の根拠・決め手となったと証言してきた。
一連の流れは、外務省の「シナリオ」と符合している。
だが、宮沢内閣が苦心惨(さん)憺(たん)して韓国のために「強制性」を認めた結果、慰安婦問題は解決するどころかさらに大きな国際問題となっていった。(敬称略)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
産経新聞は今回の連載にあたり河野、谷野両氏に改めて取材を申し込んだが拒否された。
河野事務所のコメント「取材・講演などについては、国内外でさまざまな評価、意見が出ている中で、この問題をさらに政治・外交問題化させるべきではないとの考えから、基本的にお断りをしています」
「慰安婦」で豪州巻き込む中と韓 推進役は中国系
source : 2014.04.03 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
オーストラリアの最大都市シドニー郊外のストラスフィールド市役所前で1日夜(日本時間同日夜)、2人の白人女性が笑顔で取り囲む中国系住民らと何度も記念撮影に納まっていた。
女性は戦時中、インドネシアのジャワ島で慰安婦をしていたというジャン・ラフ・オハーン(91)の娘、キャロル・ラフ(62)と孫娘だ。シドニー在住のキャロルが南部アデレードに住む母親に代わり、慰安婦像設置推進を市議会の公聴会で発言する市民代表4人の中の1人として、中国系や韓国系住民に加わったのだった。
キャロルの背後から両肩に手をあて、中国系市民団体の幹部がささやいた。
「心配ない。私がしっかりあなたを援護する」
公聴会でキャロルは、当時21歳の母親が、他のオランダ人女性とともに、3カ月にわたり「レイプと暴行を受けた」と述べ、こう力説した。
「母は志願した慰安婦ではなく収容所から連れ去られ、日本軍により性奴隷を強要された」
中国系団体はこの日、同市に建てる慰安婦像を中国人芸術家作成による「中、韓、豪の3姉妹」にする案を発表した。キャロルを加えることで、慰安婦問題にほとんど関心を示してこなかった中国や韓国系以外の住民の取り込みをはかったのは明らかだ。
中国系の発言者は、キャロルの言う「強制」を裏付ける根拠として、平成5年に慰安婦募集の強制性を認めた官房長官、河野洋平の談話にも触れた。韓国系の発言者も日本政府が河野談話を見直そうとしているとし、「慰安婦像を韓、中、豪の女性への暴力抑止の象徴にしよう」と訴えた。
公聴会にあわせるように現地の有力紙シドニー・モーニング・ヘラルド(電子版)は1日、「日本が第二次世界大戦の性奴隷像の提案に反対」との記事を掲載し韓国系副市長、サン・オクの「首相、安倍晋三は歴史をねじ曲げようとしている」との談話を紹介した。現地の日本大使館関係者によると、豪州の主要メディアが慰安婦像を大々的に取り上げたのは、これが初めて。この関係者は「慰安婦など聞いたこともなかったオーストラリアの一般市民が“性奴隷”の名の下に歪(わい)曲(きょく)された歴史を吹き込まれていく」と懸念を示した。
公聴会で日系市民を含む反対派は、慰安婦像を設置すると日系人への偏見を招き、豪州が推し進めてきた民族融和に逆行すると抗議した。大学生の岩崎光(こう)生(き)(18)は「慰安婦像で日本人への差別が生まれれば、生まれ育った大好きなオーストラリアを離れざるをえない」と訴えた。
市議会は結局、判断を州や連邦政府に委ねたが、韓国系住民らは州への働きかけを強める方針という。
現地の日系人が「ふだんの生活では交わらない」と指摘する中国系と韓国系の“共闘”は、どう発生したのか。双方に聞いても「旧日本軍による人権侵害で問題意識を共有しており連携は自然」という紋切り型の答えが返ってくる。だが、ある中国系幹部は、「中国系から韓国系に連帯を提案した」と語る。
人口約3万7千人(2011年時点)のストラスフィールド市はオーストラリアのなかでも中国系(19・6%)と韓国系(9%)住民の割合が高い。米国を中心に慰安婦像の設置を進めている韓国系にとっては、人数と資金力で大きく勝る中国系と連携すれば像設置の公算が一気に大きくなる。
関係者によると、慰安婦像設置を進める中国系の市民団体幹部には、中国共産党が実質運営する企業から資本注入を受けた経営者が含まれるという。豪州を舞台に中国と韓国の対日「歴史戦」の構図が透けてみえる。
外交官さえ「談話がすべて」 弱すぎる海外発信、「誤解」野放し
source : 2014.04.03 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
慰安婦募集の強制性を認めた平成5(1993)年の河野洋平官房長官談話は、慰安婦問題をめぐる議論の沈静化につながるどころか談話が認めていない事柄までが重ね塗りされ、海外に“事実”として流布される結果を生んでいる。
オーストラリア・ストラスフィールド市での慰安婦像設置案にとどまらず、米カリフォルニア州などに設置された慰安婦像や碑、世界各地で採択された対日非難決議は、その証左だ。
2006年9月、米下院国際関係委員会で、史上初めてとなる慰安婦問題での対日非難決議が採択されたが、そのなかには、日本の研究者の間では「根拠がない」として決着済みの文言も書き連ねられていた。
「日本政府は性的な苦役という目的のためだけに若い女性を組織的に誘拐した」「慰安婦にはわずか13歳の少女や子供から引き離された女性らがいた」「20万人もの女性が奴隷にされ、そのほとんどが今日、生存していない」
こうした表現は96年に国連人権委員会(現・人権理事会)に提出された特別報告官、ラディカ・クマラスワミによる報告書に盛り込まれた内容と重なる。クマラスワミ報告書は、「奴隷狩り」で慰安婦を集めたと虚偽証言した吉田清治の著作などが多用されていたほか、河野談話を根拠として慰安婦を「性奴隷」と認定した。
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下院委員会決議の基になったとみられる米議会調査局の06年4月の報告には「慰安所の女性は通常、死亡または終戦まで、強制的に長期にわたって留め置かれた」などと、出典の引用もなしに確定された“事実”として記されている。
慰安婦問題に詳しい東京基督教大学教授の西岡力は「報告を作成した議会調査局の担当者は日本語も韓国語もできない。ロビー団体が準備した英文資料をそのまま引用したのだろう」と推測する。
この決議を踏まえ、07年には下院本会議でも対日非難決議が可決された。これらの決議文は現在も議会のホームページ(HP)で閲覧することができ、米議会が認定した“事実”として発信され続けている。
これに対し、日本政府は有効な反論を発信していない。外務省の英語版HPには「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」など数件の英訳文が掲載されているが、01年11月以降、更新されていない。
HPに掲載された文書は慰安婦問題を取材する外国人記者にも渡される。海外からの問い合わせだと、HPのリンクを送るだけの対応もあるようだ。
海外に駐在する日本外交官でさえ、慰安婦問題について問われると、「『河野談話に書いてあることがすべてです』と談話を盾にとって逃げることがある」(外務省筋)という。これでは、反論どころか談話の説明さえおぼつかない。というのも、河野談話の文言は「解説」なしには外国人はおろか日本人にも正確に理解できないからだ。
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河野談話では、慰安婦の募集について「甘言、強圧」による事例が「数多く」あり、「官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」としている。素直に読めば軍や政府による強制的な「募集」事例が多数あったと取れ、英文では「at times(時には)」とある。だが、読み手にとって「at times」はそれほど重みを持たない。
平成9年3月、自民党の保守系有志議員「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(教科書議連)が行った会合でのこと。「強制性」の証拠の有無を問われた当時の内閣外政審議室審議官、東良信は、韓国政府が行ったという元慰安婦の証言以外には「バタビアの事件が1つあった」だけだと説明した。
この事件は日本占領下のインドネシア中部スマラン市で昭和19年初頭、現地の部隊が抑留所からオランダ人女性ら35人を連行して慰安婦としたものだ。「女性が自分の意思で働いていない」ことが判明、現地の日本軍司令部の命令で慰安所は約2カ月で閉鎖。戦後、国際軍事裁判で事件にからんだ軍関係者11人が死刑を含む有罪判決を受けた。
説明を聞いた議員からは、事実が確認できた事例がインドネシアの戦地での1件だけだったことに驚きの声が上がった。一方で、「(慰安所を)解散させたのなら、軍が命令で強制的にやったのではないことを逆に証明するのではないか」との指摘が出た。別の議員からは「韓国側には(インドネシアの例を朝鮮半島での証拠として)別の説明をしてるんじゃないの」との疑問が呈された。
東は否定したものの、河野談話については当時も今も、日本政府は誤解を解く努力をしていない。
中国“歴史カード”の1つに急浮上した「慰安婦」
source : 2014.04.04 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
3月下旬の南京市は汗ばむような陽気だった。
「戦時中に旧日本軍が造った慰安所としてはここがアジアで最大だと考えている」。周辺住民が無造作に捨てた生活ゴミの山を踏みながら、廃屋と廃屋の間をすり抜けるように歩く南京史を専門とする南京師範大学元教授の経盛鴻(69)はこう話す。
戦時中、南京市内で日本人街があったという住宅街の一角に「慰安所」はある。6年前の春節(旧正月)に周辺住民が打ち上げた花火が引火して火災が起き廃屋となっていた。
「慰安所」は木造家屋7棟のうち、朝鮮半島出身の慰安婦用の「東雲楼」1棟、日本人女性用の「故郷楼」とみられる建物の5棟が残る。中国人女性がいたという「吾妻楼」は数年前に取り壊された。故郷楼は主に士官や下士官が、東雲楼、吾妻楼には兵士らが通ったという。慰安婦の部屋を訪ねるチケットを購入する窓口や商店が軒を連ねた木造建築も残されている。
朝鮮半島出身の慰安婦は約30人いたという。2003年に経が聞き取り調査を行った朝鮮半島出身で、元慰安婦と称する朴永心(すでに死亡)の“証言”によると、現在の北朝鮮で暮らしていた女性らは「戦地で看護婦の仕事があるから行かないか」と朝鮮人の男性に誘われ南京に来たが、実際の仕事は慰安婦だった。
南京の慰安所から、雲南省の前線に造られた慰安所に送り込まれた経験があるという朴は、終戦後、北朝鮮に戻ったが、03年に経らの招きで南京を再訪し、当時の様子を話したという。
慰安婦は1人1部屋で生活し、午前10時から午後6時まで客を取る規定があったようだ。避妊具の使用義務と衛生面での注意や飲酒厳禁、指定された部屋以外に立ち入ることを禁じるなど、指示は細かい部分にまで及んでいる。
建物は誰でも自由に出入りすることができるような雰囲気にも見えたが、経は、「慰安婦たちは強制的に働かされた性奴隷だった」と語気を強めた。
中国は慰安婦問題に関して日中首脳会談などで持ち出したことはない。1996年の国連人権委員会(当時)で、特別報告官のラディカ・クマラスワミが日本の法的責任を求めた際も中国の代表から国家賠償を求める発言はなかった。しかし、中国外務省筋は先月末、こう言い切った。
「日中間には歴史に残された問題が3つある。遺棄化学兵器、強制労働、そして慰安婦だ」
中国が仕掛ける根拠不明の「慰安婦30万人」 6月英文出版
source : 2014.04.04 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
「慰安婦に関する資料の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界記憶遺産への登録を目指そう」
2月8日、上海で開かれた慰安婦問題に関する国際会議でこのような共同宣言が採択された。会議を共催したのは上海師範大とソウルの成均館大。中韓の研究者は慰安婦問題で民間レベルでの連携を確認した。
会議で中心的役割を務めた上海師範大教授の蘇智良(59)は、慰安婦問題を世界記憶遺産にしようとする理由について、「日本が『特攻隊』を申請しようとしているからですよ」と説明する。特攻隊の出撃基地があった鹿児島県で、隊員の遺書などを記憶遺産として申請する動きがあることに中韓が“対抗”したという。歴史的価値そのものではなく、日本への対抗こそが申請の理由なのだ。
2年に1度のユネスコ世界記憶遺産への登録の審査は、戦後70年にあたる来年行われる。
蘇によると、この会議の費用は「昨年末に、中国政府から初めて下りた80万元(約1320万円)の慰安婦問題に関する研究予算が充てられた」という。
研究予算が初めてついたのは蘇らが昨年、吉林省長春市である歴史資料を見つけたことも影響している。
現在、吉林省の中国共産党委員会が利用している建物は、関東軍司令部が使用していたもので、蘇らはこの建物に眠っていた10万点に及ぶ資料の一部に「日本軍がかつて慰安所を管理していた」とする文書を見つけたのだという。
ただ、資料がどこまで日本と関係し、信頼性のあるものなのかが現時点で不明であることは蘇も認める。
「われわれも知らない慰安婦に関する史実が、今後の研究で明らかになるかもしれない」
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蘇の研究によると、32年に上海市内で“日本租界”とも呼ばれた日本人居留区の虹口にできた「大一サロン」が、世界で最初に日本軍の管理下に置かれた慰安所だったという。現在は一般の住宅になっているその建物に足を踏み入れた。46年から一室に住んでいるという住民の部屋には、畳はなくなったが、欄間に富士山を描いた木工細工が残っていた。
蘇によると、大一サロンは20年代から存在した「大一」という名の貸座敷が前身。この貸座敷には芸者や遊女もいたと蘇はみているが、軍医の意見を吸い上げた軍部が定期的な性病検査などを義務づけた慰安婦制度を作り、慰安所として管理下に置いた第1号が「大一サロン」だという。
蘇は著書『上海日本軍慰安所実録』で、38年当時、上海には約300人の慰安婦がいたとしており、その過半数の女性は朝鮮半島から連れてこられた「日本植民地政策の犠牲者だ」などと表現している。
45年の終戦まで上海には160カ所以上の慰安所ができたといい、蘇は朝鮮半島出身者が経営を担っていたケースも多いと語る。その根拠となる当時の「在華半島人人名録」には、慰安所経営者として「韓次礼」(日本名・大原光江)や「白利淳」(同・白井源一)などの名前が並ぶ。
蘇は「強制性はあった」と強調するが、中国人女性との接触に神経をとがらせていた旧日本軍が関与したとはとても思えない例まで挙げた。
「海南省や山西省などには当時、纏(てん)足(そく)(女児の足指に布をきつく巻いて足が成長しないようにした中国の風習)が残っており、走って逃げようにも逃げられない中国女性が慰安婦にさせられたケースがある」
中国共産党機関紙、人民日報が運営する「人民網」は、中国大陸のみならず台湾や東南アジアなど各地に広がった慰安所で、最大で30万人の慰安婦が存在し、このうち約68%が中国出身者だったとの記事を昨年8月に掲載している。30万人という数字はいわゆる「南京事件」で虐殺されたとして中国が主張する人数と奇妙に符合しており、いずれも根拠は不明だ。30万人という数字がまずありきだったのではないかという疑念も生じる。
蘇は6月には、研究成果を英語でまとめた書籍『チャイニーズ・コンフォート・ウーマン(中国人慰安婦)』を出版する。そのサブタイトルは「日本帝国の性奴隷の証拠」。英語で出版する理由は何か。そこに、まさに中国側の「歴史戦」の意図が透けてみえる。
平成5年の慰安婦募集の強制性を認めた河野洋平官房長官談話に関与した元官房副長官、石原信雄は2日の参院統治機構調査会に出席し、作成過程で「韓国側も『過去の問題に一応区切りをつける』と言っていたので、それを信じて談話を出した」と述べた。ところが、談話で慰安婦問題は収まるどころか、韓国と中国が共闘して対日攻勢をかける事態にまで深刻化している。
元政府高官 慰安婦調査について「質は低い」
source : 2014.04.05 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話の根拠となった韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書は現在、「非開示」とされており、国民の目から隠されている。とはいえ当然のことながら、政府内の関係者はその内容を知っている。
そのうちの一人、平成6~8年に内閣外政審議室審議官として戦後50周年記念事業などを担当した美根慶樹は元慰安婦への聞き取り調査報告書を初めて読んだときのことをこう振り返る。
「非常にもどかしい思いだった。(事実関係が)もっとはっきりできるのではないかと思っていたが、いまひとつはっきりしない」
美根の記憶によると、調査では元慰安婦とされる女性の証言への反証もなく、話を詰めるプロセスもなかった。「強制」を感じていた女性はいたが、肝心要の誰に強制されたかは判然としない。
「『あなたが言っている根拠は』『誰が強制したのか』と詰めていけば、立ち往生するような話だった。ものごとをはっきりさせる裁判などに耐えうる証拠ではない。質は低い」
美根の感想は産経新聞が調査報告書を「極めてずさん」と報じたことと合致する。ただ、報告書がいいかげんなものでも、美根は河野談話自体は評価している。
「いろんな問題はあるにせよ、日本として慰安婦問題に無関心ではなく取り組んでいくという姿勢を国際社会に示し、評価されたことは本当に大きい」
美根は聞き取り調査に関しては、一定の結論を得るための「儀式」だとあらかじめ織り込んでいたという。「調査はそういうものだったから、ずさんでもしようがないということか」と聞くと、率直に答えた。
「そうですね。調査記録を読む心得としてそういう気持ちがあった。それが当然の前提という感じがあった。そうでないと(調査報告書は)ほとんど意味がない」
「日本と日本人の名誉ために正面から戦っていくしかない」
source : 2014.04.05 産経ニュース (ボタンクリックで引用記事が開閉)
政府は現在、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話の作成過程の検証作業を進めている。当時の政府関係者からの聴取に加え、慰安婦問題に詳しい専門家を交え、日韓両政府間でどのようなやりとりがあったか詳しく調べる方針だ。
官房長官、菅義偉(すが・よしひで)がこの方針を表明したのは、今年2月20日の衆院予算委員会での談話作成時の事務方トップだった元官房副長官、石原信雄の証言がきっかけとなった。
「日本軍や官憲が強制的に女性を募集した客観的資料はない」「談話は聞き取り調査に基づくが裏付け調査はしていない」
石原はこう述べたが、こうした事実は以前、国会でも取り上げられていたのだ。9年3月12日、参院予算委で内閣外政審議室長、平林博=写真=は自民党の小山孝雄と次のようなやりとりを交わしていた。
小山「これまでの調査では慰安婦の強制連行はなかったのか確認する」
平林「政府の発見した資料の中に軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接示すような記述はなかった」
小山「慰安婦の聞き取り調査の裏付けはとったか」
平林「個々の証言を裏付ける調査は行っていない」
平林は答弁にあたって、談話作成当時の政府関係者から説明を受けた。この結果、「軍が強制連行をした形跡はない」と、自信を持って答弁したという。説明を聞くなかで、平林は聞き取り調査のあり方そのものに疑問を持った。
「調査の信頼性もさることながら、周りからの影響を受けながら元慰安婦の方は証言をされたという気がする。相当昔の話なのでかなり無理があったと思う」
聞き取り調査については自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の9年3月19日の会合で、内閣外政審議官、東良信もこう答えている。
「(強制性認定の)明確な根拠として使えるものではなかった」
調査には日本政府を相手取り賠償請求訴訟を起こしていた元慰安婦ら原告側の弁護士、福島瑞穂(前社民党党首)がオブザーバーとして同席していた。
こうした経緯を知る石原は談話について「いかなる意味でも、日本政府の指揮命令の下に強制したということを認めたわけではない」(平成17年の産経新聞インタビュー)と明言していた。
ところが、これを覆したのが談話発表後の河野の記者会見だった。
「調査結果は、強制連行の事実があったという認識でいいのか」との質問に次のように答えた。
「そういう事実があったと。結構です」
「客観的資料はみつからなかったのか」との問いにはこう述べた。
「強制には物理的な強制もあるし、精神的な強制もある。精神的な強制は官憲側の記憶に残るというものではない。しかし、関係者、被害者の証言、それから加害者側の話を聞いている。いずれにしても、本人の意思に反した事例が数多くあるのははっきりしている」
これは河野個人の見解にすぎない。平林は「(河野が)自分で作った談話を自分流に解釈した。資料では少なくとも見つからなかった。見つからなかったからこそ、曖昧な表現になった」と分析する。そのうえで平林は河野談話の検証を評価し、こう強調する。
「慰安婦問題は日本を道義的、政治的に貶め劣位に置くための韓国、中国の道具になっている。当時の日本政府のやり方がおかしければ明らかにした方がいい。日本と日本人の名誉ために正面から戦っていくしかない」
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