source : 2013.09.23 jiji.com (ボタンクリックで引用記事が開閉)
沖縄県・尖閣諸島沖で2010年9月、海上保安庁巡視船に中国漁船が衝突した事件をめぐり、公務執行妨害で逮捕した中国人船長の釈放に向け、菅内閣(当時、以下同)が法務・検察当局と水面下で調整していたことが明らかになった。官房長官だった仙谷由人元衆院議員が時事通信のインタビューで証言した。当時の政権幹部が政治的な働き掛けを明言したのは初めて。
事件は10年9月7日に発生し、海保は翌8日に船長を逮捕。その後、那覇地検は「国民への影響や今後の日中関係も考慮」したとして、処分保留で釈放し、船長は中国に帰国した。菅直人首相は「(釈放は)検察独自の判断」と強調し、柳田稔法相らも検察への指揮権発動を否定したが、政治的な意向が作用したのではないかとの見方が根強かった。
仙谷氏はインタビューで、衝突事件と同時期に大阪地検特捜部の証拠改ざん事件が発覚し、「法務事務次官と私が会う時間が大変長くなった」と指摘した。その上で、「次官に対し、言葉としてはこういう言い方はしていないが、政治的・外交的問題もあるので自主的に検察庁内部で(船長の)身柄を釈放することをやってもらいたい、というようなことを僕から言っている」と語った。
仙谷氏は、法務・検察当局からの要請を受け、釈放決定に先立ち外務省幹部を那覇地検に派遣したとも説明。こうした背景には、横浜市でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を10年11月に控え、「中国が来ないとどうするのか。これは菅氏も大変焦りだした。『解決を急いでくれ』というような話だった」と、菅氏の指示があったことを証言した。
また、船長釈放後に民主党の細野豪志氏が訪中し、中国外交を統括していた戴秉国国務委員と会談したことに関し、仙谷氏は訪中が自身の指示だったことを認めた。インタビューは今月19日に東京都内で行われた。
◇尖閣沖衝突事件をめぐる日中の主な動き
【2010年】
9月 7日 尖閣諸島沖で海上保安庁巡視船と中国漁船が衝突
8日 海保が公務執行妨害容疑で中国人船長を逮捕
19日 石垣簡裁が船長の勾留延長決定
23日 中国のレアアース(希土類)輸出の通関業務停止が判明
外務省職員が那覇地検で日中関係について説明
24日 準大手ゼネコンのフジタが中国当局による社員4人拘束を公表
最高検、福岡高検、那覇地検による協議
那覇地検が処分保留で船長釈放方針を発表
25日 船長が釈放、帰国
10月 4日 菅直人首相と中国の温家宝首相がブリュッセルで非公式会談
11月13日 菅首相と胡錦濤国家主席が横浜市で会談
(注)肩書はいずれも当時
仙谷元官房長官インタビュー要旨
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沖縄県・尖閣諸島沖の漁船衝突事件で、中国人船長の逮捕はどのように決断したか。
(海上保安庁から)逮捕しましたって話で来たから。僕にとっては公務執行妨害の現行犯逮捕みたいな感覚で、その手続きを正式に進めるかどうかという話だった。岡田克也外相(当時、以下同)も前原誠司国土交通相も真面目で、岡田君は「これはけじめをつけよう、当たり前だ」という話だった。
僕は、これは政治的配慮をする必要があるかも分からんと思い、そういう問題提起もしたが、これだけのことをやってくるんだからやりましょうという話で、手続きに入った。
その後、フジタ社員の拘束など中国側の対抗措置が始まったが。
解決の方策は何かを一生懸命探った。日本の司法過程に入ると、こいつを釈放しろなどということはできないと、繰り返し中国側に説明した。
釈放に際し、那覇地検は「日中関係も考慮した」と説明した。
(横浜市での)アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を控え、温家宝首相や胡錦濤国家主席にどう対応するかが課題だった。APECに中国が来ないと日本のメンツが丸つぶれになる可能性もあるし、中国も国際的にいいことではない。どうするのか。これは菅直人首相も大変焦りだした。「解決を急いでくれ」というような話だった。
並行して大阪地検(特捜部の証拠改ざん)事件が発生した。法務省の管轄内の話が立て続けに起こり、法務事務次官と私が会う時間が大変長くなった。だから次官に対し、言葉としてはこういう言い方はしていないが、政治的・外交的な問題もあるので自主的に検察庁内部で、ありていに言えば(船長の)身柄を釈放することをやってもらいたい、というようなことを僕から言っている。しかし、法務省がどうしたかは分からない。
(法務・検察当局から)外務省の課長に参考人として聞きたいという話があり、「外務省の立場をよく説明してこい」と僕が言って、それで(課長が那覇地検に)行った。
釈放自体は地検の判断か。
そうだ。
釈放後に民主党の細野豪志氏が訪中した。戴秉国国務委員と会ったのか。
戴秉国に会えるなんて全然考えてなかった。細野君は小沢一郎氏の下で中国と関係を持っていたから、「ちょっと情報を仕入れてこい。日本が何を考えているか、きちっと伝えてこい」と(指示し)、細野君が党独自の、あるいは細野君の立場として行ったということにした。
その後、戴秉国氏と仙谷氏が電話会談した。
お互いにいがみ合って生きていくわけにはいかない、と。今回はお互いのホットラインもなかったし、齟齬(そご)がだいぶあったみたいだから、ここから協力してやっていこう、ということで終わっている。
尖閣国有化の是非は。
国有であろうがなかろうが関係ない。日本はこの問題では毅然(きぜん)とし、しかし、双方が実力行使するということだけはあってはならないと確認し合うしかない。ホットラインをつくり、まさかのアクシデントが起こらないようにしなきゃいかんということが総括だ。
現在の日中関係は。
中国との関係は、お互いの政治家がナショナリズムをどうコントロールできるかだ。国民に対して一文の得にもならないようなあおり方をしてはならない。21世紀の未来志向の戦略を日本が改めて出さないと、なかなかしんどいだろう。
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