source : 2012.08.07 毎日新聞 (ボタンクリックで引用記事が開閉)
第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった。男性は、1942年に釜山港を出発した「第4次慰安団」に参加し、44年末に朝鮮へ戻った。慰安所従業員の日記の発見は、日韓で初めて。旧日本軍による従軍慰安婦問題では、数十年たってからの証言が多いが、現場にいた第三者による記録は、冷静な議論をする上で貴重な資料と言える。
朝鮮近代経済史が専門で、慰安婦問題にも詳しい安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が見つけた。約10年前にソウル近郊の博物館が古書店で日記などの資料を入手。これを安名誉教授が最近精査し分かった。堀和生京大教授と木村幹神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。
日記は、朝鮮半島南東部・慶尚南道(キョンサンナムド)出身の男性が、ビルマとシンガポールの慰安所で働いた43、44年に記した。漢字やカタカナ、ハングルで書かれている。
男性は05年生まれで79年に死去。22年から57年までの日記が残る。ただ、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある42年を含む8年分は、見つからなかった。
男性は、43年7月10日に「昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した」と記述。44年4月6日には「一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が(市場で)働いていた」と書いた。
ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問し45年11月に作成した調査報告書には、42年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録がある。釜山出港の日付が一致し、日記の正確性を裏付ける。
安名誉教授は「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」と指摘する。ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した。
また、日記には「航空隊所属の慰安所2カ所が兵站(へいたん)管理に委譲された」(43年7月19日)、「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという」(同29日)などと、慰安所や慰安婦と軍の関係が記されている。
一方、「鉄道部隊で映画(上映)があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた」(43年8月13日)、「慰安婦に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った」(44年10月27日)など、日常生活の一端がうかがえる内容もあった。
慰安所従業員:日記発見慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落
source : 2012.08.07 毎日新聞 (ボタンクリックで引用記事が開閉)
ビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、日記を残した朝鮮人男性は、1942年夏から44年末までの東南アジア滞在中に慰安所3カ所の帳場で働いた。日記には、慰安婦の管理や、軍や役所との折衝といった日常生活が淡々とつづられている。
慰安所が旧日本軍の管理下にあったことは、軍の文書でも確認されている。日記にも「慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた」(43年1月1日)や、連隊本部などから定期的に避妊具を受け取ったりしたという記述が、頻繁に見られる。
軍から移転命令があり「慰安婦一同は絶対反対」(同3月10日)したが、結局は「司令部命令に勝てず移すことになった」(同14日)などの記述から、軍との密接な関係をうかがわせる。
日記の著者は、ビルマ西部の要衝アキャブ(現シットウェ)からラングーン(現ヤンゴン)へ移った。その際、軍から宿舎の提供を受け「火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って」(同年1月21日)もいる。
日記を発見した安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授は「軍属に準じる扱いを受けていたようだ」と話す。
日記からは、前線であるビルマと後方地域のシンガポールとの違いもうかがえる。シンガポールでの日記には、慰安婦の「廃業」や「帰国」に関する記述が多く出てくるが、ビルマではそうした記述は見られない。
著者はシンガポール在住時の44年10月25日、元慰安婦が結婚したので「知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われた」という。
ビルマでは既に日本軍が敗走を重ねていた時期で、連合軍の尋問調書などによると、多くの慰安婦が巻き添えで犠牲になっていた。
一方、日本軍は、定期的に慰安婦を検診し、性病にかかった場合は入院させた。日記にも「検査不合格者が6人も入院した」(44年5月12日)などという記述が多く見られる。「妊娠7カ月なので、休業届を提出した」(同7月4日)というケースや、慰安婦の出産(同9月5日)もあった。
日記には、朝鮮における慰安婦募集に関する記述はない。日韓両国では朝鮮半島で慰安婦を集めるときに強制連行があったかどうかに強い関心が持たれているだけに、安名誉教授は「この時期の日記が欠落しているのは残念だ」と話す。
ただ、米外交問題評議会のジェイムス・リンゼイ上級副会長は毎日新聞に対し、米国で慰安婦問題への批判が強い理由について「女性への性暴力が大きな政治的関心を呼ぶようになった世界的な流れが背景にある」と指摘。強制連行の有無は大きな論点ではなく、慰安婦という制度そのものへの向き合い方が問題視されているとの認識を示した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◆慰安所従業員の日記抜粋
◇1943年
「01月01日」 ビルマ国アキャブ市(現シットウェ)の慰安所、勘八倶楽部(くらぶ)で起きて、宮城(皇居)に向かって遥拝(ようはい)した。家内の弟と○桓君は、慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた。
「01月02日」 昨日は元日で休業し、今日から慰安業を始める。
「01月09日」 今日の検査の結果、病気だった○千代と○子の2人が不合格で、その他16人はみんな合格だった。
「01月12日」 連隊本部へ行き、慰安婦の収入報告書を提出した。
「01月13日」 連隊本部医務室から衛生サック(コンドーム)1000個を持ってきた。
「01月16日」 午後6時ごろ連隊本部事務室で、数日前に頼んだラングーン(現ヤンゴン)への出張証明書をもらった。
「01月18日」 同行の友となった中村上等兵と兵站(へいたん)へ行って朝飯を食べ、某少尉の案内で彼の部隊へ行って寝食をすることにする。某少尉も同行してラングーンまで行くという。
「01月21日」 ビルマ国タンガップの火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って、午前11時にタンガップを出発した。
「01月25日」 横浜正金銀行ラングーン支店で3万2000円を貯金した。
「01月29日」 朝鮮から一緒に来た野沢氏に会った。マンダレーの方で慰安所をしていたが、今は、部隊の移動に従ってプロメーに移り、営業しているという。
「03月10日」 55師団から、マンダレーに近いイェウーに移転しろという命令が(ビルマ国ペグー市の)金川氏の慰安所にあった。慰安婦一同は絶対反対ということだった。
「03月14日」 金川氏は司令部命令に勝てず、慰安所をイェウーへ移すことになった。
「03月16日」 金川氏は、師団連絡所からイェウー方面への移動を当分の間、中止すると言われた。
「04月05日」 桜倶楽部の慰安婦、○子は腹部がとても痛み、午後、開腹手術をするのだという。○子は昨年、マンダレーにいた時も盲腸炎で手術をした。
「06月02日」 (ラングーン市外)インセインの宿舎で起き、村山氏宅で朝飯を食べた。正金銀行に行って、村山氏の慰安所の慰安婦2人の貯金をした。
「06月20日」 光山氏は、今回の慰安婦再編で、夫人を連れて帰国するそうだ。
「06月25日」 大石氏も今般、慰安婦募集のため帰国するという。
「07月10日」 昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した日だ。もう1年になった。
「07月16日」 村山氏の慰安所の慰安婦だった○子は妊娠7カ月で、胎動異常があり、今日、鈴木病院に入院したが流産だった。
「07月17日」 昨日、鈴木病院に入院した○子は流産後の経過が良好で、今日、車で帰ってきた。
「07月19日」 インセインにいる高部隊すなわち航空隊所属の慰安所2カ所が、兵站管理に委譲された。
「07月20日」 村山氏経営の慰安所、一富士楼が兵站管理となり、村山氏と新井氏は兵站司令部に行ってきた。
「07月26日」 インセインの慰安所2カ所が兵站管理になった後、慰安婦の検査も兵站の軍医がすることになった。
「07月29日」 村山氏の慰安所の慰安婦だったが、夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという。
「07月30日」 村山氏は8月中に帰郷する考えなのだが、もち屋と慰安所を私に引き受けろという。承諾した。
「08月08日」 金川氏も慰安所を他人に譲渡して帰国するという。
「08月10日」 ラングーンの翠香園で慰安所組合会議に出席した。組合費として経営者は30円、慰安婦は1人2円で計62円を払った。
「08月11日」 近日は慰安所に来る客が少なく収入もとても減少した。
「08月12日」 兵站司令部に行って営業日報を提出し、サック400個を受け取った。
「08月13日」 鉄道部隊で映画があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた。
「08月19日」 兵站司令部で、サックを600個受け取った。
「08月24日」 村山氏が、一富士楼慰安所を9月まで自分が経営して10月初めに引き渡すというので、それではだめだと言った。
「08月26日」 兵站司令部で5日間の日報を提出し、サック800個を受け取った。
「09月09日」 ペグーの金川氏も今日、慰安所を他人に譲渡する契約を締結した。
(この後、筆者はシンガポールへ移動する)
「12月03日」 ラングーンで慰安所を経営していた金田氏は去る7月初めに慰安婦を募集するため朝鮮に行った。そして今回、慰安婦25人を連れてビルマへ行く途中でシンガポールに到着した。
◇1944年
「02月01日」 今日出発する帰国慰安婦5人を送り出した。
「03月03日」 慰安婦、○子とお○が廃業した。3月31日慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、内地帰還旅行証明願を提出させた。
「04月05日」 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。
「04月06日」 生鮮組合に行ったところ一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が働いていた。お○と○子、共栄倶楽部の○子を見送ってきた。
「04月12日」 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての内地帰還旅行証明書を受け取った。
「04月13日」 特別市警務課に行き、真○の内地帰還についての移動届を提出した。南方運航会社に行って、真○、島田○玉の2人の乗船を申し込んだ。
「04月14日」 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。
「04月15日」 慰安婦募集のため朝鮮に帰った大洋倶楽部の主人は来る7月に京城(現ソウル)から出発する予定だと西原君に電報が来た。
「04月18日」 スマトラ・パレンバンからシンガポールに来て、菊水倶楽部が慰安婦として抱え入れることになった金○順の就業許可のため特別市警務部保安課に行ってきた。
「04月30日」 今日も軍人の外出が多く、昨日の最高収入をはるかに超過し、2590円余りの最高記録だった。
「05月09日」 金○順と崔○玉の稼業婦としての就業が許可された。
「05月12日」 今日、検査不合格者が6人も入院した。
「05月26日」 昨年9月ごろ、菊水倶楽部からティモール島方面へ行った李○梅という女が今日、シンガポールに帰ってきたと訪ねてきた。
「05月31日」 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。
「06月01日」 中央電信局に行って、金本○愛と李○梅の2人に頼まれた電報を出した。
「06月02日」 今日の検査で2人が不合格となって入院したので、今までの入院者まで入れて計5人が入院中だ。
「06月05日」 金川○玉と島田○玉の2人は、今朝8時に出発した。
「06月09日」 今日の検査結果は、入院中の2人が退院し、2人はそのまま入院。店にいた女たちは全員合格した。今月から女子はたばこ配給がないのだが、稼業婦に対しては接待用として特別に毎日10本の配給がある。
「06月13日」 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと2回も電報が来た。
「06月17日」 新しく入った宋○玉のことで特別市保安課営業係、坂口氏のところに行ってきた。稼業婦特配米を受け取った。
「06月23日」 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。
「07月04日」 慰安稼業婦、許○祥(○江)は妊娠7カ月なので、休業届を提出した。
「07月27日」 正金銀行に行って、慰安婦の貯金をした。
「08月31日」 今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したというはがきが届いた。
「09月05日」 倶楽部の稼業婦、許○祥(○江)は妊娠中だったのだが、中央病院に今夜入院し、23時半ごろ男児を無事に出産した。
「09月06日」 保安課営業係に金○愛の廃業同意書を提出し、証明を受け取った。
「09月28日」 正金銀行に行って、稼業婦の貯金をし、南方運航会社に行って金○先と金○愛の2人の内地便船の申し込みをした。
「10月14日」 病弱のため帰郷を決心した。
「10月25日」 スマトラのパレンバンからシンガポールに来た宮本と第一白牡丹で前は慰安婦をしていた今の仲居が今般結婚した。今夜、両国食堂で知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われたので行った。
「10月26日」 今般帰郷する金○愛の送金許可申請書を提出した。
「10月27日」 慰安婦、金○先に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った。
「11月09日」 横浜正金銀行シンガポール支店に行って、慰安婦の貯金をした。
「11月15日」 稼業婦、金○愛は今日、内地に帰還する船に乗った。
「11月16日」 特別市保安課営業係に行き、帰国した金○愛の酌婦認可書を納付した。
「11月22日」 仲居、李○鳳と稼業婦、金○守の2人の旅行証明をもらってきた。南方運航会社で2人の乗船申し込みをした。
「11月24日」 正金銀行に金○守の送金許可を申請し、中央郵便局で李○鳳の送金をした。
「12月04日」 正金銀行に行き、送金許可された金○守の1万1000円を送金してあげた。
「12月16日」 横浜正金銀行に行き、許可された3万9000円を送金し、検疫所に行って検疫証明書をもらった。13時ごろ稼業婦のみんなと別れのあいさつをして停泊場に行き、手荷物検査を終えて17時ごろ乗船した。
(注)日記は、慰安婦のことを「稼業婦」「酌婦」などとも記している。慰安婦らの名前の一部を伏せ字とした。「横浜正金銀行」は、1880年開業の外国為替取扱銀行。日記では単に「正金銀行」とも書かれている。東京銀行の前身で、現在は三菱東京UFJ銀行となっている。色文字は記事と関連する部分。
まぁ…「変態」毎日新聞が何を書こうが…
「何を今更」感は拭えませんが…
安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授によれば…
朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ
…らしいです…
しかしながら別記事で…
「広義の強制」だの…「狭義の強制」だのと…
相も変わらず「言葉遊び」していますので…
胡散臭さ満載ですね…
しかも…
ただ、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある42年を含む8年分は、見つからなかった
…ですからね…
なんとも…まぁ…
偶然にも…ピンポイントで…
( ̄ー ̄) 邪笑®
そもそも「安秉直」氏は…
朝鮮人からも…
そう好かれてはいないようですしね…
何より…従軍慰安婦が「大好物」の…
「捏造」朝日新聞 と 福島みずほ が「頬かむり」しています…
当然ながら…「東京都中央区築地5-3-2」で同居するオトモダチ…
「東亜日報」も完黙です…
朝鮮メディアでは「朝鮮日報」が唯一伝えていますが…
慰安婦:慰安所管理人の日記発見、性的奴隷の実態明らかに
source : 2012.08.07 朝鮮日報 (ボタンクリックで引用記事が開閉)
旧ビルマ・シンガポールにあった日本軍慰安所の管理人、日記に書き記す
「1942年7月10日、朝鮮人女性数百人の『第4次慰安団』、軍用船に乗って釜山出港、8月20日ビルマ着、20人前後に分かれて日本軍駐屯地に配置」
旧日本軍の従軍慰安婦が、戦時動員体制の一環として、日本軍の主導の下に数度にわたって組織的に動員されていたことを示す資料が新たに発見された。また前線の日本軍部隊が、下部組織として編成された慰安所・慰安婦らを率いて移動していた事実も同資料で明らかになった。これは「従軍慰安婦の動員に日本政府や日本軍が関与しなかった」という一部の主張を全面的に否定する資料だ。安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大学名誉教授(韓国経済史)は、1942年7月に従軍慰安婦を連れて旧ビルマ(現在のミャンマー)に向かい、44年12月に帰国するまでビルマ・シンガポールの日本軍慰安所で管理人として働いていた朝鮮人が残した日記を6日に公開した。
安名誉教授が翻訳および解題を担当して間もなく刊行されるこの日記によると、42年7月10日、朝鮮人女性数百人からなる「第4次慰安団」が釜山を出発した。
女性を募集したのは、日本軍の代理人が選んだ民間業者。募集された女性は軍属に準ずる身分で、日本軍が発行する旅行証明書を持ち、軍用船など軍用の交通手段を利用した。
8月20日にビルマに到着した慰安婦らは、約20人ずつに分けられ、日本軍の駐屯地や主要都市に配置された。日本軍の慰安所は、形式的には民間業者が経営していたが、日本軍が直接管理・統制していた。慰安所は日本軍の部隊の専属として報告書を定期的に提出し、また軍の命令によって随時移動した。
ビルマの朝鮮人慰安婦の存在は、この地域の慰安婦だった故ムン・オクチュさんの証言などによって知られていた。しかしムンさんが「第4次慰安団」の一員で、女性たちが終始一貫して日本軍の命令に従っていたという事実が明らかになったのは、今回が初めて。
安名誉教授は「41年12月に太平洋戦争が始まった後、日本軍が数度にわたって慰安婦を連れていったといううわさが出回ったが、今回公開された日記でその実態が判明した。日本軍慰安所の運営実態を示すこの日記によって、慰安所が軍の組織編制の末端部に編入されており、従軍慰安婦が『性的奴隷』状態にあったことを再確認できる」と語った。
韓国政府を含めて「ニダニダ」言いませんねぇ…( ̄ー ̄) 邪笑®
たぶん…朝日新聞 の「捏造待ち」なのでしょう…
昨夜のテレビ朝日「報道ステーション」でも…
売国奴 古舘伊知郎 は…
撤回した「ばかちょん」発言は粘着していましたが…
捏造手法が固まっていないのでしょう…完黙でした
まぁ…「ナチス発言」のように…
捏造「後出しジャンケン」する気満々でしょうし…
特定アジアが固唾を飲んで熱望している…ってな感じでしょうか…
( ̄-  ̄) 冷笑®
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