2016/02/03

【番頭の時代】小松一郎・前内閣法制局長官、香川俊介・前財務省次官 歴史的転換を理詰めで果たす

 source : 2016.02.02 産経ニュース (クリックで引用記事開閉)




政治の荒波に翻弄されながらも、最後まで「志」を貫いた2人の官僚が、惜しまれつつ亡くなった。

官僚は、表舞台で活躍する政治家を陰で支える「頭脳集団」。あくまで黒子でありながら、歴史的な政策転換の場面では重要な役割を果たすことも少なくない。前内閣法制局長官、小松一郎と前財務省事務次官、香川俊介は、そんな歴史の転換点で活躍した「BANTOU」だった。

平成24年11月15日、東京・丸の内の「東京會舘」には、自信に満ちた表情で講演する自民党総裁、安倍晋三の姿があった。

「もう一度政権を取ったら、議論を再スタートして結論を得て、(憲法)解釈を変更すべきだ」

前日14日の党首討論で首相の野田佳彦が「衆院解散」を表明していた。政権奪回を確信した安倍は、第1次政権時に設置した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を再開し、集団的自衛権の行使容認に向けた決意を示したのだ。

その後の衆院選で再び首相となった安倍は翌年8月、内閣法制局の人事慣例を破り、長官に駐仏大使の小松を起用した。法制局生え抜き以外からの抜擢は異例だった。小松は昭和47年に外務省入省。国際法局長を務め、国際法にも明るかったが、内閣法制局の勤務経験はなかった。

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歴代政権は憲法解釈で集団的自衛権の行使を認めてこなかった。この解釈の見直しに抵抗してきたのが内閣法制局だ。安倍は、従来解釈との整合性にこだわり、見直しに抵抗してきた法制局の歴史的転換を果たす大仕事を小松に託した。法制局幹部は、当時の小松の心中を「1人で落下傘で降り立つ気分だったのではないか」と推し量る。

「これはこんな意味で良いのかね」。集団的自衛権に関する憲法解釈の検討に着手した小松は、長官室のソファに幹部を招き、気軽に議論を重ねた。

法制局での議論は法律に関する理屈が全てだ。たとえ、長官の意見でも法律の条文解釈などに無理があれば押し通すことは難しい。「理屈のわからない人だと、3日も務まらない」(法制局幹部)とまで言われる。外部からみれば閉鎖的な法制局の中で、小松は決して、「容認ありき」を議論の前提にすることなく、あくまで法理にのっとった姿勢を貫いた。

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そして、25年11月の衆院国家安全保障特別委員会。「従前の解釈を変更することが妥当であるとの結論が得られた場合には、変更がおよそ許されないことはないと考える」。小松は政府が過去に憲法解釈の変更を行った前例があると答弁し、時代の変遷で解釈が変わってきた事実を指摘した。集団的自衛権の解釈見直しに向けた布石だった。

だが、獅子奮迅の働きをみせていた小松に病魔が襲う。26年1月、通常国会の開会直前に小松は体調不良を訴えて入院した。末期がんだった。

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「自分の残りの人生をかけて、この責任を全うさせてください」。余命いくばくもないことを悟った内閣法制局長官、小松一郎は見舞いに訪れた首相の安倍晋三に訴えた。

安倍は小松の願いを受け入れた。1カ月後に退院した小松は、抗がん剤と化学治療を受けながら国会で答弁に立ち続けた。野党議員からは心ないヤジも浴びた。しかし、小松は「重要なことだから、きちんと説明しないといけないんだ」と腹を固めていた。

平成26年5月15日、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が、集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ報告書を安倍に手渡した。これを見届けた小松は翌16日、内閣法制局長官を退任。6月23日、解釈見直しの閣議決定は見届けられぬまま不帰の客となった。享年63。

「小松さんほど強靱な精神を持った人を知らない」

9月に行われた偲ぶ会で安倍は、改めてその死を惜しんだ。集団的自衛権の行使を可能にした憲法解釈の見直しと安全保障関連法は、小松という「番頭」抜きに成し得なかった。

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もう一人、政と官の在り方を考える上で欠かせない官僚が、前財務省事務次官の香川俊介だ。

大蔵省(現財務省)に香川あり-。香川は、消費税を導入した竹下登内閣で官房副長官だった小沢一郎(現生活の党と山本太郎となかまたち代表)の秘書官に抜擢されたころから頭角を現した。民主党の野田佳彦内閣での社会保障と税一体改革では、政界工作を担う官房長として奔走。迷走を極めた民主党政権下で、消費税増税を確定させたのは、香川の胆力と人脈なしにはあり得なかったといわれる。香川の上司だった元財務次官の勝栄二郎(現インターネットイニシアティブ社長)は「決して人の悪口を言わず、上にも下にも臆することなく、偉ぶらずに付き合える人間だった」と振り返る。

だが、そんな香川をもってしても、消費税率10%への引き上げをめぐり、首相官邸と激しく対立した。

「あいつの影響力はすごく大きかった。再増税は必ず政局につながると思った」。香川と定期的に食事をするなど、10年以上の付き合いがあった官房長官の菅義偉は、消費税再増税の是非を問う衆院解散を決めた頃の香川の気迫をこう振り返る。 

26年4月に消費税率を8%に引き上げた影響で景気は失速。官邸は、景気見通しを誤った財務省への不信感を強め、予定していた27年10月の再増税は困難との判断に傾く。だが、消費税率10%は香川にとって信念だった。政府の債務残高は1千兆円超と世界最悪。それでも思い切った歳出削減に踏み込まず、痛みを次世代に先送りする政治家を、香川は間近で見てきた。

政権基盤が安定している安倍政権の今しか増税のチャンスはない-。香川は24年秋に食道がんが発覚し、一度は完治したものの、再び体調が悪化。手放せなくなったつえをつきながら、自ら政界や財界などを回り、再増税の必要性を説いて回った。再増税見送りと衆院解散が濃厚になった最終局面でも、財務相の麻生太郎が、外遊先から帰国の途にある首相の政府専用機に乗り込み説得を試みるという執念をみせた。

安倍は26年11月、再増税延期を争点に総選挙の断行を決めた。消費税率10%への引き上げは予定より1年半先送りされた。香川は次官退官から1カ月後の昨年8月9日、消費税率10%を見届けることなく、58歳でこの世を去った。

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政治主導を掲げる菅は、政治家と官僚の関係を「互いに相手が捨て身で仕事をしているか見極めている」と喝破する。政治家にとって、国の将来を見据え本気で仕事をしない官僚は“番頭”失格だ。逆に、政治生命を懸けて信念を貫けない政治家は、官僚からみれば番頭として支える価値がないという意味でもある。

小松は生前、「命懸け」という見方を「そんなヒロイック(英雄的)なつもりもない」と言下に否定した。その意味で、菅が香川を「戦友だった」と評するのは、最高の褒め言葉だったに違いない。


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