2016/01/30

ドイツ人はなぜ偏向報道に流されるのか?「難民歓迎」熱から覚めたメディアの欺瞞と矛盾 / 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」

 source : 2016.01.29 現代ビジネス (クリックで引用記事開閉)

■ドイツはいまや鼻つまみもの




ドイツの難民政策が完全に行き詰まっている。ベルリンの空気は極めて険悪。EUにもドイツの味方はもうあまりいない。メルケル首相は、国内外で孤立の相を深めている。

ハンガリーに漂流してしまった難民を、ドイツが受け入れ始めたのは去年の8月の終わりだ。これは、EUの難民政策を定めるダブリン協定の明らかな違反だった。ダブリン協定によれば、EUに入った難民は、足をつけた最初の国で難民申請を行うことになっており、勝手に違う国に移ってはいけない。

ドイツはその規則を破って、ハンガリーで溜まってしまっていた難民を受け入れ始めた。「皆がドイツに行ける!」という情報はアラブ、アフリカに電光石火のごとく広まり、EUを目指す難民の数は爆発的に増えた。

EUの隣人たちは、ギリシャの債務危機では、規則を盾に頑として譲ることのなかったドイツが、突然規則を破ったことに、まず驚いた。しかしそればかりか、ドイツの国民は続々と到着する難民を熱狂的に歓迎し、それにメルケル首相が、「私たちはできる!(Wir schaffen das!)」と発破をかけ、ドイツメディアはその光景を手放しで褒め称えたのであった。

ドイツメディアの自画自賛報道と、それに対する国民の共感という相乗作用は、奇妙なことにドイツではしばしば起こる。このときも、褒められた国民は自らの人道的行為に深く感動し、ダブリン協定違反などメディアの口の端にも上らなかった。

しかし、このころ、このドイツ人の行動を、信じられない思いで見ていた人たちはたくさんいる。たとえば、9月初め、イギリスの政治学者アンソニー・グリースが、ガーディアン紙のインタビューに応じて言っている。

「目下のところ、ドイツはまるでヒッピー国家のように感情だけで動いている。まるで理性を失ってしまったかのようだ」

キャメロン首相も同様に、こう言った。

「イギリス人にももちろんハートはある。しかし、行動するには頭脳も使わなければならない」

とりわけ、イギリス人の気に障ったのは、イギリスがIS撲滅のために軍事行動に出ようというのに、ドイツはそれを非難がましく眺めているだけでなく、なんとその横で、シリアやイラクの可哀想な人々に向かって「うちへいらっしゃい」と呼びかけ、自分たちのほうが人道的だと誇っているように映ったことだろう。

そうするうちに2015年10月、ドイツでは、1月からの難民申請者がとうとう100万人を超えた。困った政府はその対策として、EUに入ってしまった難民をEU全体に振り分けようとしたが、多くの国は難色を示した。皆、難民問題を大きくしたのはドイツだと思っていたからだ。

それに腹を立てたドイツが、非協力的な国には、EUの補助金の削減など制裁措置を考えるべきだと言い出したとき、ドイツは完璧に鼻つまみものとなった。

■1月4日を境にドイツの世論が急変した




イギリスはドイツと距離を置くため、すでに独自の難民救済策に着手し始めている。ポーランド、ハンガリー、スロベニアといった東欧諸国はもちろん、今まで寛大に難民を受け入れてきたオーストリアやスカンジナビア諸国までが、現在、「難民お断り」の方向に舵を切っている。

メルケル首相は、今も一貫して「庇護を求めている人はすべて受け入れる」という方針を貫いているが、もちろん、このままの状態を続けていくわけにもいかない。それならばと、入って来る人数自体を減らすことに知恵を絞り始めた。

解決策の一つは、EUの国境防衛の強化。具体的にいうと、トルコとの駆け引きだ。

トルコは、シリア、イラク、アフガニスタンなどからの難民のハブ地になっており、すでにその数は250万人にのぼる。エーゲ海を渡ってEUを目指す難民のほとんどが、ここから出る。そこで、EUが30億ユーロをトルコに供与し、その代わり、トルコは自国にいる難民がEUに出ないように見張るという計画。現在、その駆け引きにメルケル首相が尽力している。

ただ、私が解せないのは、ついこの間まで「難民ようこそ」熱を撒き散らしていた人たちが、今、当たり前のように、EU国境の防衛を唱えていることだ。EUに入ってこなければ難民問題はクリアできる? トルコに溜まってしまった難民はトルコの問題? ドイツ人は何か変だとは感じないのだろうか。このあいだまでの「人道」はどこへいってしまったのか?

ドイツ人の行動には、とかく欺瞞や矛盾が多い。何かの拍子で火がついたように熱狂したかと思うと、突然、反対方向に振れる。メディアがそれを助長しているようにも見える。

今回のメルケル首相の「難民ようこそ」政策に関しても、メディアは手放しで褒め称えたばかりか、難民の受け入れは、少子化と労働力不足に悩むドイツにとってのまたとないチャンスだというアピールを繰り返していた。

一方、「難民ようこそ」政策に懸念を表明した者、不安を感じた者に、「右翼ポピュリズム」とか、「極右のシンパ」という烙印を押していたのもメディアだ。終始一貫、難民は犠牲者で、それを助けているドイツ国民は善人であるという「正しい報道」がなされ続けていたのである。

世論が急変したのは、1月4日以来だ。その4日前の大晦日に、ケルン中央駅前の広場や公道で、大量の難民が女性を取り囲み、性的暴行と窃盗を繰り返すという信じがたい事件が起こったことは、すでにこのコラムで書いた。今では被害届がケルンだけで766件に上っている。

しかし、ドイツの主要メディアがそれを報道したのは、なんと4日も経ってからのことだった。これにより、国民もようやく、何か変だと気がつき始めた。そして、そのあとぼちぼちと、今まで伏せられていた"不都合"も報道され始めた。

それからというもの、典型的なドイツ的反応が起こった。女性を守るため、公共のプールから難民の成人男性を締め出せとか、ディスコ入場も制限しろとか。これらは実行されてはいないが、ドイツ人の考えが大きく反対に振れる例だ。これもまた、違った意味で危険ではある。1月27日には、難民の滞在に関する法律を厳しくすることが決まった。

■ドイツメディアを牛耳っている勢力とは




ドイツ人のこの複雑な思考と行動、理性と感情の凌ぎ合い、そして、メディアの偏向報道について分析した好著がある。『ドイツリスク 「夢見る政治」が引き起こす混乱』(三好範英著・光文社新書)。

ドイツ人がときどき世界中の国をびっくりさせるような行動に出る原因を、三好氏は、ドイツ人の持つ「ロマンチシズム」を中核に据えて分析している。

内容は、「偏向したフクシマ原発事故報道」から始まり、エネルギー、ユーロ、ドイツの対ロシア、対中国関係などで、どれも地道な取材と豊富なデータと歴史的背景に基づいて、深く考察されている。

同じ題材を扱っても、私が作家の目でエッセーとして書くのに対して、三好氏はジャーナリストとして違った方向から光を当てて探る。なぜドイツ人が「こういうとき」に「こういう行動」に走るのかということが、論理的に説明されていて興味深い。

ドイツ特派員生活が長かった三好氏が、ドイツの報道に不満を感じていることも明らかで、だからこそ、それが第1章に取り上げられているのだろうが、同書によれば、ドイツメディアを牛耳っている勢力は、かなり左翼のようだ。

「世論調査機関アレンスバッハが2009年に行った、ドイツの政治記者の政党支持に関する調査によると、保守系のCDU・CSUの支持が14%に対し、緑の党が42%」、またヴェルト紙(2011年4月11日)に掲載されたマインツ大学情報学研究所教授(コミュニケーション学)マティアス・ケプリンガー氏の調査結果では、「今日、ドイツのジャーナリストの35%が緑の党、25%が社民党、14%がCDU・CSUか、リベラル系のFDP支持」とのこと。

メディアの間でここまで緑の党が強ければ、テーマによっては報道のバランスが著しく崩れるはずだと、これを読んで初めて納得した。

ここに書かれていることは、日本の多くの読者にとってはドイツのイメージが変わる内容だと想像するが、私にとっては、日頃から怪訝に思っていた多くの謎がようやく解けた啓蒙の書だった。ドイツの現状について、こういう読みの深い本が出てくることは、大変嬉しい。

難民問題にしても、同書を紐解くと、さもありなんと思えてくる。そういう意味で、「難民問題を予見した本」といえるかもしれない。


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