2015/11/11

安全であれば良いはずの「難民様」が「最も貧しい大統領」の国ウルグアイで貧乏は嫌だから「出国させろ」の傲慢

「最も貧しい大統領」の温情がアダ…南米小国が助けたシリア難民「出国させろ」の皮肉
source : 2015.11.10 産経ニュース WEST (ボタンクリックで引用記事が開閉)



シリアなどから記録的な難民・移民の流出が続く。そんななか南米の小国ウルグアイに受け入れられたシリア難民が、出国を求めて抗議行動に出る騒ぎになっている。食べていける仕事がないと将来を悲観したためだが、地元民からは「もうたくさんだ」といった声も。清貧な人柄で知られた前大統領が受け入れを決めたが、温情が徒(あだ)となった小国に困惑が広がっている。

■「1500ドルは稼げると…」

「レバノンに戻ったっていいんだ」

ウルグアイの首都モンテビデオの大統領府近くで9月はじめ、シリア難民の男性、アンドリース・マヘルさん(36)は報道陣に、憤懣(ふんまん)やるかたないという調子でまくしたてた。ロイター通信などによると、マヘルさんはレバノンの難民キャンプに避難していたところ、昨年10月、ウルグアイに家族とともに難民として受け入れられた。

ところが来てみて、描いていた夢はすっかり打ち砕かれたという。

「安心して暮らせる場所が必要なんだ。来る前に大使館は月に1500ドルは稼げると話していたのに、家族を養えるような仕事は全く見つからない」

マヘルさんは8月、「国外脱出」も試みた。欧州に向かうためにトルコのイスタンブールに飛んだが、空港で足止めをくらった。パスポートやビザなど入国に有効な書類がなかったからだ。約20日間にわたり空港で居座り続けたが結局、あきらめてウルグアイに戻ってきたという。

■突然、ガソリン浴び…

ウグルアイは昨年、5家族、42人のシリア難民を受け入れたが、1年もたたずして多くが出国を希望する事態になった。中東から遠く離れた南半球にある人口は300万人あまりの国にはモスクひとつない。小さな国の好意に頼ったものの、現実を見た難民たちの落胆は大きかったようだ。

10月に入り、難民が暮らす海辺の小さな町で事件が起こった。AP通信によると、首都から150キロメートル離れたその町で、ミハーイ・アルシェビリさん(51)が、自宅で自らの体にガソリンを浴びのだ。ウルグアイ政府の関係者が訪れ、相談に応じていたときのことだった。

他国が受け入れる証明を求めるアルシェビリさんに担当者が、政府に権限はないことを説明していたという。アルジェビリさんは政府は菜園程度の農業しか認めないと不満もぶつけ「羊も牛も、土地もない」とこぼしていたという。

アルジェビリさんの家族は妻に加えて子供が15人もいる。メディアの取材に、働ける家族は皆働いているが得られる収入はわずかで電気代など生活費が高いと訴え、「ウルグアイは好きだし子供たちも学校に行っているが食費は高く、とてもやっていけない」と悲観した。

■「清貧さ」ゆえの支援

幸い点火には及ばなかったものの、抗議の焼身自殺を意図したとも思わせる出来事は、食料などを分け与え、あたたかく迎え入れた地元住民をあぜんとさせた。

靴工場に務める女性は「全くひどい話。ほんとうに腹立たしい」と憤る。ある女子学生は「ウルグアイはそもそも難民を受け入れるような経済状況じゃない」と、政府を批判した。

シリア難民の受け入れを決めたのは、今年3月まで5年の任期を務めたムヒカ前大統領だ。ムヒカ氏は在任中、給与の9割を慈善事業に寄付し、小さな家から古いフォルクスワーゲンのビートルを運転して通勤した。「現代人はモノを買うための労働に追われ過ぎている」といった、含蓄ある言葉を集めた書籍は日本でも人気だ。「世界で最も貧しい大統領」とも言われたが、本当に苦しい人々への援助は惜しまなかった。

農業国ウルグアイの労働者の4割は月に500ドル程度の収入という。小さな国家予算から政府は、難民に住居や月々の手当ても与えた。「清貧な大統領」に招かれた人々がより豊かな国へ移住を求めるのは、皮肉な状況といえる。

■「行きたければ行けばいい」

ガソリを浴びたアルジェビリさんの子供を、時々アルバイトに雇っていた食堂経営の女性はAP通信に、難民と政府のどちらに問題があるのかわからないと、困惑の様子。「この人たちは多分、もっとお金がある国に来るつもりだったんでしょうね」と話した。

政府は今年2月、第2弾として72人の難民を受け入れる予定だったが、混乱を受けて延長された。

政治アナリストのダニエル・チャスケティ氏は「ウルグアイは機会にあふれた国ではない」と言い、文化的な違いや、難民たちが備える仕事の技量を考慮しなかった政府の見通しの甘さを指摘した。

大統領府の担当官はロイター通信に、「別の国に行きたければ行けばいいが、受け入れるかどうかはわれわれの権限ではない」と首を振る。ただムヒカ氏のあとを継いだバスケス大統領はメディアのインタビューで「できるだけ希望に添えるよう、相手国とも交渉してみる」と、難民たちに寄り添う姿勢を示した。

なお医師でもあるバスケス氏について10月、こんなエピソードが報じられた。パリ行きの民間航空機で乗り合わせた17歳の少女が食物アレルギーから窒息状態になり、手当てを施して危険な状態から救い出したという。シリアのアサド大統領も眼科医だが、こちらは内戦で多くの自国民を犠牲にし、難民に追いやっている。


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